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「二十四節気」と冬の花

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最近読んだ本で 「二十四節気」 について知りました。 四季は、春、夏、秋、冬ですが、「二十四節気」はそれをさらに 6つ に分けたもので、1年を  24等分  し漢字2文字で表しています。 そもそも、もとをたどれば「暦」です。 今、世界で共通している日付は「太陽暦」からきていることは周知のとおりですが、明治の前までは月の満ち欠けを基本とした「旧暦」が使われていました。 もともと日本の暦は中国から奈良時代に伝わったとされていて、1年を24等分した「二十四節気」も同様に中国から伝わったものです。 「二十四節気」の中には春分、秋分、夏至、冬至など今もよく使われる言葉もありますが、聞きなれない言葉もあります。 夏至、冬至からもわかるように「二十四節気」は太陽の動きをもとにしているので、現在の「太陽暦」でもそのまま引き継がれています。 下記に記します。 春    「立春」「雨水」「啓蟄」 「春分」「清明」「穀雨」 夏    「立夏」「小満」「芒種」 「夏至」「小暑」「大暑」 秋    「立秋」「処暑」「白露」 「秋分」「寒露」「霜降」 冬    「立冬」「小雪」「大雪」 「冬至」「小寒」「大寒」      こうしてみると、何だかそれぞれがすごく趣のある言葉ですね。 そういえば、以前トイレのカレンダーに書いてあったな、などと不届きなことを思った自分が恥ずかしいです。 先人は、自然の営みを何とか時間の観点から見ようと一生懸命観察してきたことがわかります。 そして、現在はというと「二十四節気」でいうところの 「冬至」 (12/22~1/5日頃)に当たります。 今まで「冬至」というと、正午の太陽が1年で1番低く、1番昼が短い日だということしか頭にありませんでした。 もちろん、今では科学的に今年の冬至はいつだということを知ることができますが、昔の人はそうはいかないので、日が短くなるところを大まかに「冬至」と言ったのでしょう。 いずれにしても「二十四節気」の奥深さを感じます。 実は「二十四節気」をさらに細かくした 「七十二候」 もあり、より植物との関連性が深くなります。 まあ、「七十二候」についてはまた折を見て書きたいと思います。 因みに 気候 は「二十四節 気 」「七十二 候 」のそれぞれ末尾の漢字か...

晩秋に思う。

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秋も終わりに近づいてきました。 晩秋の夕暮れ近く 人も少なくなった公園、紅葉した木の下、テーブルとベンチに枯葉が落ちる。 さっきまであたりを暖かく染めていた残照が、徐々にその力を弱めていく。 サイモンとガーファンクル  の 「旧友」 という曲を思い出しました。 英語で 「Old friends」  年老いた老人が二人、 ブックエンド のように公園のベンチに座っている。    捨てられた新聞紙が芝生の上で風に舞い、彼らの革靴のつま先に絡みつく、、、。 この曲をはじめて聞いたのは中学生のころでした。 もの寂しいメロディーで、ブックエンドのように座っている二人の老人という表現がすごく印象に残りました。 サイモンとガーファンクル 内気な、ちょっと今でいうオタクっぽい青年だった彼ら (すみません) ビートルズやローリングストーンズとは対極にあり、ボブ・ディランのシュールさは無く、もっと静かなそれでいて深い。 「The sound of silence」彼らの代表曲のように。 彼らの曲を聞いて、遠い自由な国アメリカを思い浮かべました。 彼らを一躍有名にしたのは映画 「卒業」 です。 結婚式での略奪シーンは有名で「エレーン」「ベーン」と叫び合うところ、ダスティン・ホフマンのくしゃくしゃの顔とキャサリン・ロスのアップが思い出されます。 確か当時のCMでも流れてました。まぁ、二人とも若かった。 でも、実際のところ映画自体はよくわからず、何でエレンはあんなベンなんて男を選ぶんだろうと思って見てました。(笑) それでも、映画の中に流れていた 「ミセスロビンソン」 や 「スカボローフェア」 が気になり、サイモンとガーファンクルの2枚組のLPレコードを買ってしまいました。(レコードです。時代が偲ばれます。(笑) とにかくも、ポール・サイモンの歌詞はどれも詩的で素晴らしいです。 歌の中にストーリーがあり、まるで小説のようです。 特に「ボクサー」なんて歌詞をみているだけで泣いてしまったり、孤独をテーマにした曲も多く、すごく身につまされたりしました。 「旧友/Old friends」に話を戻します。 1970年代、この歌をポール・サイモンが書いた当時、70代はかなり人生の終焉に近くなったというイメ...

ゴッホ展、巡りゆく日本の夢

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10月の「ボストン美術館展」に続いて 「ゴッホ展」 へ。 再び、東京都美術館に行ってきました。 (ボストン美術館展については先のブログで書いていますのでよかったら読んでみて下さい。) ゴッホ展、今回は 「巡りゆく日本の夢」 のサブタイトルで日本の浮世絵がゴッホに与えた影響をテーマにしています。 チラシはこちらです。 ゴッホが描く浮世絵の模写、何だかえぐいなぁというのが正直な感想です。(笑) でも、面白いですね。 花魁 (おいらん) なんて全く知らないゴッホが、浮世絵を見て日本文化にすごく興味をもったこと、 そして、何よりも1887年当時にこうした浮世絵がパリで流行したということにも衝撃を受けます。 1878年のパリの万国博覧会に遡ったころ、すでにヨーロッパの美術界では 「ジャポニズム」 とよばれる日本美術ブームが起きていました。 今回の展示では広重や北斎の絵も数多くありました。 版画のため大量に刷ることができた「浮世絵」は安価で購入でき、しかもその色使いや多色刷りの見事さなど、当時のヨーロッパ美術界に驚きをもって迎えられたのです。 歌川広重 亀戸梅屋敷 「浮世絵」の平面的な構図はゴッホにも大いに影響を与えたようです。 ゴッホの絵は、厚塗りと波打つような筆致で圧倒させられる作品が有名ですが、今回のゴッホ展では、厚塗り以前のおとなしい作品も多く展示されていました。 ああ、こんな優しい感じの絵もあったのかと興味深かったです。 上は買ったポストカードから、今回私の一番好きなゴッホの絵です。 手前の木の描き方はいかにもゴッホらしいタッチですが、構図は浮世絵の影響を受けていますね。 何気ない絵ですが、気に入ってしまいました。 それにしてもゴッホのイメージした日本とはどんな世界だったのでしょうか。 解説によると、本当に素晴らしい楽園のような思いをもっていたようです。 たぶん、画家の目としてでしょうけど、浮世絵に出てくる梅、桜などから描く素材に事欠かないと思ったのかもしれません。 他にも1887年当時、日本に1年ほど滞在したピエール・ロティの「お菊さん」という小説が流行していて、挿絵付きで紹介されていました。 あの「蝶々夫人」のような外国士官と日本人娘...

銀座八丁神社めぐり 2017

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銀座の町にある、小さな社をめぐる 「銀座八丁神社めぐり 」 開運スタンプラリーです。 友人に誘われ、穏やかなお天気の午後に出掛けてみました。 結果、すごく楽しかったです。♪ 銀座は年中出かける場所ではありませんが、元気をもらえる大人の町です。 特に、わたしのような50代女子には。(笑) どうも渋谷や新宿は落ち着かなくて、、、。 「銀座八丁神社めぐり」に話を戻しますね。 まずは努力の賜物 (たまもの) の ご集印帳 からです。 このように一つ一つ社 (やしろ) を回るごとにスタンプをもらっていきます。 どのスタンプもそれぞれ個性がありますね。 こうして白いますにスタンプが埋まっていくのが楽しいのです。 銀座一丁目~七丁目の間に点在している社を回るのですが、中には銀座三越やGINZA SIX (旧松坂屋) の屋上にも社があります。(GINZA SIXになってからはじめて行きました。そうか松坂屋の後なのかと感慨があります。) 普段行かないデパートの屋上も目的があればなお楽しい。 そしてスタンプをもらって歩くのが、これほどわくわくするものだとは思いませんでした。(笑) 神社は銀座のビルとビルの間の隙間にもあり、まるで  ブラタモリ  気分です。 下の写真を見てください。こんな路地に社があるんですよ。 しかもこの路地が参道です。 宝探しのようで、ものすごく楽しいです。 えっ、こんなところに神社が。 お稲荷さん、商売繁盛ですね。 こんなほほえましいお地蔵さんも (三越屋上) 途中、三越でちょっと買い物に時間を費やしてしまい、少しあせりながらもラストスパートで何とか時間内に無事回り切りました。 そして、そのご褒美に記念品として来年の干支 「戌」(いぬ)  の土鈴をもらいました。 かわいい。来年は 戌年(いぬどし) ですね。 この「銀座八丁神社めぐり」のイベントは毎年この時期に三日間行われているとのこと。 今年は11/1~11/3の三日間でした。 友人は昨年も参加したそうです。 特に費用はかかりません。主催は全銀座会催事委員会、銀座の町内の方々が協力してこうしたイベントをされているようです。 銀座というとちょっと敷居が高い感じがありますが、こう...

芸術の秋 ボストン美術館展、アートな上野

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少し前に閉幕寸前、東京都美術館 「ボストン美術館展」 に行ってきました。 何でいつもわたしはぎりぎりなんだろうと反省点はありますが、やっぱり行ってよかったです。 「ボストン美術館展」 はヨーロッパ美術、日本美術、エジプトの出土品などバラエティに富んだ展示が魅力です。これらの美術品は海外を旅した収集家の情熱と美術館側のエジプトでの発掘調査にかけた情熱の賜物です。 アメリカは移民の国、1776年に建国してからまだ240年余りだから、歴史と文化に対して憧憬が強かったのでしょうか。美術収集家が個人のためにというよりは町のため、国のためという大義をもっていたように思います。 これらの収集家たちを 「ボストニアン」 と呼び、敬う姿勢に好感をもちます。 そして、ボストニアンたちに日本美術を紹介したのが岡倉天心です。 彼は横山大観や菱田春草ら画家の育成に力をつくしたことも有名ですが、日本文化を広めるという大きな仕事をしていたのですね。 それにしても日本美術が海を渡って評価されているというのはすばらしい。 今回、里帰りをはたした英一蝶 (はなぶさ いっちょう) の 「涅槃図」 は約1年をかけて修復されました。その他にも与謝蕪村の屏風絵などもあって楽しく拝見しました。 でも、メイン展示はやっぱり ゴッホ でした。 写真は出口近くの撮影コーナーです。 さすがにこの中に入って写真を撮るのは勇気がいるのか、誰もしていなかったですが、、。 今回は夫婦そろっての凱旋展示ということで、左が郵便係のルーラン、右が奥さんです。 なんとも味のある夫婦ですね。左のルーランは、ゴッホからみても被写体としてなかなか興味深い人物で髭がすばらしく、まるでソクラテスのようだと手紙に書いていたとか。 この二人の絵は何枚かあって、いろいろな美術館で所蔵されています。 そういえばと、昔の「バーンズコレクション展」の図録をみたらありました。 ルーランのひげ面が、、。こうした発見も楽しいです。(笑) それから出口近くにイッセー尾形の指人形の作品がありました。 愛嬌があって、すごく気に入ってしまいました。(笑) 美術館をあとにしたころには夕暮れ時になっていました。 最後はアートな上野の写真を紹介します。 東京都美術館前 地獄門 弓を引...

ポプラの木とゴッホの糸杉、そして十五夜

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こんにちは。 めっきり秋になりました。 週末のお天気のいい日は公園もたくさんの人でにぎわいます。 さて、いきなりですがポプラについて話します。 子供のころにじゃんけんで、ポプラはグーで、イチョウはチョキ、もみじがパー ってやりませんでしたか。 まあ、最近の都会ではこの三つの木が近くにあるというのは稀なので、知らないかもしれませんね。 でもほら写真の如くポプラの葉っぱはグーでしょう。 でも、実をいうと私も最近までよく行く公園の木がポプラだって知りませんでした。 本当にごめんねっていう感じです。 青空の下、木が風にゆさゆさ揺れているさまをずっと見ていたのに気が付かなかったなんて、、、。 ポプラの木ってこんなに背が高かったんだ。空に向かってすっと伸びています。 このポプラ木を見ていていつも思うことがありました。 なんて馬鹿なと思われるかも知れませんが、ゴッホの「糸杉と星の見える道」です。 なんか、すごく似ています。 ゴッホは糸杉を多く描いていて、もちろんこの絵も糸杉です。 言い訳っぽくなりますが、公園の木も糸杉なのではと思ってしまい、わざわざ近くで葉っぱの写真を撮ってしまいました。(笑) 馬鹿ですね。 ゴッホの「糸杉と星の見える道」、ゴッホらしいタッチで麦畑の黄色と星と月と糸杉、歩いている二人、馬車が描かれています。 きらめく星と三日月でしょうか、夜なんだろうけれど空の色だけ見ると明るい。 ゴッホのことだからかなりデフォルメして描いているのだろう。 手前の村人二人は仕事を終えこれから一杯やろうか、なんて話しているのだろうか。 それともすでに一杯飲んで、ほろ酔い気分で家路に帰る途中だろうか。 こんなつまらない妄想を描いているなんて誰にもいえたものではないけれど、ふっと一人で笑いながら考えているのが結構楽しい。 奇しくも先日の十五夜 (中秋の名月) のお月様がすごくきれいでした。 ゴッホの絵は三日月のようですが、やはり日本ではお月様というと「中秋の名月」ですね。 中国でも同じく「中秋節」、月餅を食べる習慣は有名ですね。 日本では、十五夜の月にはお団子と薄(すすき)、ススキの穂を稲穂に見立てて豊穣を祈っていました。 東西の文化は違えども、太陽、月に対する人々の祈りは同じだと思います。...

彼岸花 (曼殊沙華) に思う。

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あの猛暑が嘘のようです。完全に秋ですね。 今日は長そでのスポーツジャケットを着て散歩に出かけました。 そして、不意に 彼岸花 の赤に目を奪われました。 お彼岸の時期に咲く花、別名 「曼殊沙華 (まんじゅしゃげ)」 です。 毒性があるため、外敵から稲を守るためによく田んぼの畔などに植えられたそうですが、 最近では曼殊沙華の群生が観光スポットになっているところもあります。 この曼殊沙華という名前、漢字からも想像できますが仏教が深く関わっています。 サンスクリット語 (インドなど南アジアおよび東南アジアにおいて用いられた古代語 wikipediaより)で曼殊沙華は 天界に咲く花  とされています。 本来は非常におめでたい花とされているのですが、日本では昔から土葬のそばに植えられていたりしたため、別名で「死人花」「捨て子花」「幽霊花」などとよくない名前がつけられました。 しかし、恐れる反面、独特な花の形と真紅の色が人の心を惹きつけるのでしょうか。 白地に真っ赤な曼殊沙華の模様の浴衣、 すごく好きだったけど、なんだか着るのに気後れしてしまった過去を思い出します。 そして、あの山口百恵の「曼殊沙華」まんじゅしゃげではなく 「マンジュシャカ」 という歌詞が印象的でした。 先に触れたサンスクリット語で manjusaka 似たような音であるということを後で知り、さすがは阿木燿子だと思いました。 この歌は1979年だからもうずいぶん前ですね。 曼殊沙華に女性の情念を合わせていますが、何かすかっとした潔さもあって、そんな歌詞が山口百恵にぴったりと合っていました。 藤あや子が後でカバーしましたが、彼女の「曼殊沙華」もなかなかよかったです。 真紅(真っ赤)という言葉がやけに印象に残ります。石川さゆりの「天城越え」ほどではないもう少し軽い情念でしょうか。(何を言っているんだろう(笑)) もうひとつ、有名な山口誓子の俳句です。   つきぬけて 天上の紺 曼殊沙華 つきぬけてというのは空が高い、秋の空でしょうね。 天上の紺というのは真っ青な空ではないでしょうか。 真っ青で澄み切った空に、すっくと咲いている曼殊沙華。 秋の青空と曼殊沙華の赤のコントラストがくっきりしていたのでしよう。 また、先に触れたサン...

ジャコメッティ展、不思議な魅力

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国立新美術館で  アルベルト-ジャコメッティ展  を見てきました。 この細長い印象的な彫刻、もうすぐ会期も終わりだと思うとすごく見たくなってしまいました。 いつもぎりぎりのわたしです。 アルベルト-ジャコメッティはスイス人ですが、ずっとフランスのモンパルナスに居を構えて製作していました。 ジャコメッティの面差しはまるで哲学者のようで、ただひたすら芸術に捧げた生涯です。 1966年に64歳で亡くなり、今回の展覧会は「 没後半世紀を経た大回顧展」 と銘打たれています。 とことん写実に近づくことを探求した結果、写真のような細長い彫刻が彼の独特なスタイルになりました。 彫刻は屋外に展示されることも多いのですが、ジャコメッティの作品はすごく細いので、箱根の彫刻の森、美ヶ原高原美術館等でのレプリカ展示は難しいかなと思いました。 会場内に屋外のテラスや道に展示されている写真がありましたが、ちょっと違和感を感じました。 自然の中では ヘンリームーア や ロダンのような、どっしりとした彫刻が合います。 その点、ジャコメッティの作品はそぎ落としたような細さなので、周りが  無  の方が作品が引き立つような気がします。 それはそれとしてジャコメッティ、大きい作品ばかりではなく、初期のころはマッチ箱に入るような極端に小さい作品もありました。 説明によると、見たものの姿を探求していくなかで、作品のサイズが変わってしまうということに相当な葛藤があったようです。 それにしても小さすぎる。まるで根付の細工のようでした。 デッサンもたくさん展示されていました。 不思議なことにこちらは普通のデッサンです。 こだわりを示すたくさんの線で描かれていました。 写生は長時間にわたり、あまりに過酷なため、モデルはごく身近な人間しかできなかったようです。 作品に一つ年下の弟がモデルになった絵や彫刻が多いのはそのためです。 それにしても彼の作品は不思議です。細くてミイラのようなのに暗さはありません。 むしろ愛嬌すら感じます。 何点か写真撮影がOKだったのでご紹介しますね。 どうでしょう。代表作の 「歩く男」 (左と中央) は見る角度で少し違った印象を与えます。 いったい、この男の年齢はいくつくらいなんだろ...

夜空に咲く一瞬の刹那、花火

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テレビで大曲 (おおまがり) の花火大会の中継をみました。 大雨の影響で、ぎりぎりまで調整をしていた様子をニュースで見ていたので、本当に無事に開催できてよかったと思いました。関係者の方々もほっとされたことでしょう。お疲れさまでした。 花火師が集まり、技術を競う大会でもある、大曲花火大会。 創作花火は普段見ることのない、色合いや形や演出が凝っていて、テレビで見ていても楽しいものでした。 しかし、やっぱり本物を見るのが一番ですね。 皆さんは今年どんな花火を見ましたか。 夏の風物詩である花火。 いや今は夏だけでなく様々なイベントで打ち上げられていますが、やはり花火は夏の夜空が一番似合います。 まあ、わたしも毎年地元近くの花火大会に出かけています。 それに、あのドーンという音を聞くとなんだか心躍ります。 最近は男女ともに浴衣の方が多くて、よけいに夏の風物詩という感じがしていいです。 花火は写真で撮るのはちょっと、とずっと思っていましたが、友人に動画からキャプチャーすることを教えられ、今年はこの方法をiphoneで試してみました。 まあ、こんなもんです。 夜空に咲く一瞬の刹那、花火。 ああ、夏も終わるか。 猛暑で年とともに夏がきらいになってきたけれど、やっぱり夏ならではの楽しいことも多いです。特に花火は、大勢の人が同じものを見て感動して時間を共有しているのがいいです。平和を感じますね。 もう少し夏の気分に浸っていようっと。(ただぐだぐだしてるだけですが)

静かな湖畔、、神秘の湖 奥日光-湯の湖

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前回の戦場ヶ原の山行の続きで、最後にたどり着いた 湯の湖 の話をしますね。 日光の奥座敷のためか、湖の周りを歩いている人も少なく、とても静かでした。 この湯の湖の水は、湯滝、戦場ヶ原、竜頭の滝を経由して中禅寺湖に流れこみます。 湯の湖、実に美しいです。 静かな湖畔の森の影から、、、神秘の湖のようです。 昔の歌で恐縮ですが、グループサウンズが流行っていた当時、歌詞に必ずと言ってもいいほど湖が出てきました。 「ブルーシャトウ」「エメラルドの伝説」「花の首飾り」「虹色の湖」 など、おお、けっこう出てくるなあ。どの歌詞も今では考えられないほど、現実離れしたロマンあふれるものでした。 先ずは 「ブルーシャトー」 から、ブルーコメッツの超有名な歌ですね。 作曲:井上忠夫、作詞:橋本淳  森と泉に囲まれて  静かに眠る   ブルー、ブルー、ブルーシャトウ  あなたが僕を待っている  暗くて淋しい   ブルー、ブルー、ブルーシャトウ このブルーシャトウという言葉、子供ごころにすごく幻想的に響いたものです。 湖は出てきませんが、森と泉に囲まれてという歌詞から、ブルーシャトウは絶対に湖畔にあると思い込んでいました。 55歳以上の方なら小学校のころ、必ずと言っていいくらい、森とんかつ、泉にんにくと替え歌で歌っていたのではないでしょうか。 今思うと、なんて馬鹿な、そしてなぜこの替え歌が、インターネットもない時代に日本全国に広まっていったのか不思議です。 次に 「エメラルドの伝説」 です。 萩原健一の若かりし頃のテンプターズの歌で、題名からして少女漫画のようでぐっときます。 作曲:村井邦彦, 作詞:なかにし礼  湖に君は身を投げた。  花のしずくが落ちるように  湖は色を変えたのさ  君の瞳のエメラルド 続いて 「花の首飾り」 はタイガースの名曲です。 下記は2番の歌詞です。 作曲:すぎやまこういち, 作詞:管原房子  花咲く娘たちは 日暮れの森の  湖に浮かぶ白鳥に 姿をかえていた  おお 愛のしるし 花の首飾り 最後に 「虹色の湖」 中村晃子のヒット曲です。 作曲:小川寛興, 作詞:横井弘  幸せが住むという   虹色の湖  幸せに会いたくて   旅に出たわたしよ 調子にのって書いて...

日光戦場ヶ原 穂先シモツケ群生

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日光に行ってきました。久しぶりの戦場ヶ原です。 夏の日差しですが風が心地よく、やはり標高1200mくらいだと空気が清々しいです。 戦場ヶ原では 穂先シモツケ の群生が出迎えてくれました。 今回はちょっと多く写真をのせますね。 穂先シモツケ 先ずは穂先シモツケから、今回この花の名前をはじめて知りました。 シモツケの花は知っていましたが、確かに穂先のようにピンクの花が咲いていますね。 群生しているとこんな感じです。男体山を背景に雄大な景色でした。 男体山と穂先シモツケの群生 日光戦場ヶ原は湿原で、 男体山、大真名子山、小真名子山、太郎山 と日光の山々を間近に眺めながら歩くことができます。これらの山々、日光連山が家族のように名付けられています。ここからは見えませんが 女峰山 も家族の一員です。ほら、お父さん、お母さん、子供の家族でしょう。 日光連山と戦場ヶ原     男体山はどっしりとした山容で、日光に来るとその壮大な雄姿に感動します。まさに日光の主です。 ずいぶん前になりますが、中禅寺湖の反対側の志津峠から男体山に登りました。 快晴の中、山頂での昼食はすぐ目の前に中禅寺湖を見下ろしながら、まさに王様のランチでした。 けっこうアプローチが長いので、今はなかなか登れないです。(悲) でも、こうして戦場ヶ原を歩きながら見る男体山もすばらしい。 それに今回はピンクの穂先シモツケを見ることができてよかった。 山に来ると出会う人たちと自然に「こんにちは」とあいさつを交わします。 こんなこと、普通の都会暮らしではありえませんね。 誰もが自然の中では心がリラックスして優しくなるんでしょうか。初対面でも山という共通の話題で話がはずみます。 こんな「一期一会」の出会いが山歩きのよさですね。 穂先シモツケの名前も出会ったご婦人が親切に教えてくれました。 たった一日の山行でもすごくリフレッシュできましたよ。 因みに今回は竜頭の滝~戦場ヶ原~湯の湖まで歩きました。 道も整備されていて、道中、竜頭の滝と湯滝の二つの滝を見ることもできます。 下記に地図を載せますね。 緑色 が今回の歩程です。 山に登らなくても十分に山を堪能し、帰りは湯元温泉で日帰り入浴して、最高の一日でした。 ...

少年の名はジルベール

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「少年の名はジルベール」 このタイトルを見てピンときた方は、わたしと同じく1970年代の少女漫画の黄金期を知っている方でしょうね。 マーガレット、少女フレンド、少女コミック、りぼん、、、懐かしい。 当時、世の中の女の子はみんな少女漫画を読んでいたと思います。 かくいうわたしも少女漫画で成長したひとりです。(笑) ジルベールはあの 「風と木の詩」 の主人公の少年の名前です。 そして本の著作は竹宮惠子、もちろん「風と木の詩」の原作者です。 この「風と木の詩」が少女コミックに連載されていた当時、わたしは中学生でした。 大胆な少年愛の描写に驚きつつ、ちょっとついていけない感じではありましたが、それでもジルベールの不思議な魅力に魅せられて毎週読んでました。(笑) この本は今や少女漫画界の大御所になられた竹宮先生の青春の回顧録です。 今だからこそ書けるんだろうな、と思わせる大変興味深い内容でした。 この本で描かれている内容は、当時わたしが毎週少女コミックを読んでいたあの中学生のときを思い出させます。 あの漫画はあんなすったもんだがあってできたのかと思うと感慨深く、そして同時代の漫画家、萩尾望都への嫉妬が混じりあった複雑な心境が正直に語られていて、ああそうだったのかと胸がキュンとしてしまいました。 萩尾望都の 「トーマの心臓」「ポーの一族 」は今もわたしの本棚にあります。 この漫画でギムナジウムという男子の寄宿学校を知りドイツの文化に触れました。 萩尾望都の書く背景は竹宮惠子がいうように、美しい絵画のような、映画のシーンを見ているような深い森の中や空気までも感じたものでした。 そして、少年が主人公という新しい世界にどっぷりとつかってしまったのです。 特に 「ポーの一族 」は、話の中に複線がたくさん張り巡らされ、さまざまな枝葉の話が幾重にも広がっていて、物語をより深く壮大なものにしています。 そんな素晴らしい才能がそばにいるという苦しさと焦りで、のたうちまわるような日々を送った後、竹宮惠子自身が 「ファラオの墓」 (エジプトを舞台とした歴史漫画) でスランプを脱したと書かれています。 この「ファラオの墓」おもしろかったです。 滅亡した王国の生き残りの王子、サリオキスの流転の日々と復活を描いたものなのですが、敵である悪役のスネ...

二つの全英オープン

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二つの全英オープンが今年も終わりました。一つめは全英オープンテニス、いわゆるウィンブルドンで、もう一つは全英オープンゴルフです。 毎年、夜更かしをしながらテレビのライブ中継を見るのが習慣になってます。(笑) 今年もまた十分に楽しめました。 ウィンブルドンではあのフェデラーが見事に復活の優勝を果たしました。 昨年のラオニッチ戦でフェデラーが転んだ姿を思い出すと感慨深いです。 あの時は観客からため息のようなものがありましたから、、、。 今年の全豪と全英の優勝は本当にすごいことですね。 フェデラーはもちろん名選手には違いありませんが、多くの人が彼を応援するのは彼のテニスに対するひたむきさを感じるからだと思います。 そして、サーブ、フォアハンド、バックハンド、ボレーなど、どのフォームも美しい。 爆発的というわけではない完成された美しさというか、、、 とにかくフェデラーのテニスは見ていて楽しいです。 そして、こんなことは言ったらいいのかわかりませんが、時々、特にダブルフォルトで窮地にたったりするところが見ている方にとってはたまりません。彼のポーカーフェイスとこのはらはら感が相まって、さらに応援してしまうのです。(苦笑) 来年もまたフェデラーのセンターコートでの戦いを期待しましょう。 そして、終わったばかりの全英オープンゴルフ。 いつも思いますが全英オープンのゴルフ場はすばらしい。時々カメラが上空から映すのですが、荒々しい海岸線とどこまでもつづく広大な土地、小説「嵐が丘」の舞台のようで、まさにイギリスって感じです。 それに今年は松山英樹が3日めまでいい位置で戦っていたのでより楽しみが増えました。 しかし、まさかの1ホールめの OB 、こんなことってあるんですね。さぞ意気消沈しているだろうなと思いながら、その後の松山くんのプレーを応援してしまいました。 結果は2アンダーの14位でしたが、すごく耐え忍んでよくやったなと思います。 ジョーダン・スピースは一時はすごく調子を落としたにもかかわらず、神がかり的なショットを連発して終わってみれば圧倒的な勝利でした。 いつもこの全英オープンの最終日が日曜の夜というのが辛いのですが、今年もまた最後まで見てしまいました。 全英オープンテニス、ゴルフともに歴史を感じながら、新たなスター...

暑さにまけぬ花、木槿 (むくげ)

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木槿 (むくげ)は、アオイ科フヨウ属の落葉樹です。 この夏の暑さの中でけなげに咲いている姿を見るとさわやかな気持ちになります。 白い花びらの真ん中に紅がさしたようで美しいですね。 この木槿という名は中国からきたようです。むくげという音はあまり聞こえのいいものではありませんね。 花のせいではないのですが、名前というのはけっこう決定的な印象をもつので、すごく気の毒な感じがします。(苦笑) 木槿は俳句では秋の季語としてうたわれています。 朝顔にうすきゆかりの木槿かな 与謝蕪村 寝る外に分別はなし花木槿   小林一茶 杉垣に結いこまれたる木槿かな 正岡子規 木槿咲く塀や昔の武家屋敷   正岡子規 いずれも身近な花としてうたわれていますね。 身近すぎて少しぞんざいな感じさえします。 特に2番目の小林一茶の句はどういう意味なのでしょう。寝る外に分別はなしとは、、。 自分なりに思ったのは、暑くて寝ていたら庭に木槿の花が咲いているのが見えたとか、、読解力がなくてすみません。なんだか色気もなにもないですね。(笑) ところでもうひとつ似ている花のことを、ハイビスカスも同じアオイ科フヨウ属の仲間です。こちらは南国の花という感じです。 ハイビスカスは以前ベランダで育てたことがありました。木槿もそうですが、花は一日で散り、次から次へと蕾から花が咲いていきます。 散り際がまた颯爽としていて傘をつぼめたように落ちます。 立つ鳥あとを濁さずの如く、散った後すごく手入れが楽です。潔いですね。(笑) ハイビスカスと木槿、名前の印象からかまったく別物という気がしますが、やっぱり日本には木槿の方がぴったりきます。 この暑さですごく滅入っている中、生垣に木槿の白地に紅をさしたような花を見ると、少し元気がでました。

55歳からのハローライフ

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今回は最近読んだ本について書きますね。 まず本の題名「55歳からのハローライフ」が目にとまり、おもわず手に取っていました。 次に作者の村上龍の名前を見て、図書館の本棚のところでしばらく立ち読みしながら、あれっ、この話何だか知ってるなと思ったら、以前NHKでドラマ化され見たことを思い出しました。 五つの中編小説になっています。 1. 結婚相談所 2. 空を飛ぶ夢をもう一度 3. キャンピングカー 4. ペットロス 5. トラベルヘルパー このうち、わたしがテレビドラマで見たのが 2.空を飛ぶ夢をもう一度と 5.トラベルヘルパーで、それぞれの話に共感したことを思い出します。今回は再びまっさらな気持ちで読み始めました。 幻冬舎館 55歳からのハローライフ どの話もわかるなぁと感情移入と苦笑いしながら、、。特によかったのは「空を飛ぶ夢をもう一度」でした。ドラマを見ていたので内容は知っていましたが、5編の中では一番重たい内容で、ホームレス化した古い友人と主人公の話です。 ドラマでは主人公をイッセー尾形が、古い友人を火野正平が演じていて、読みながら彼らの演技が思い出されました。ドラマを見たときも感動したのですが、単なる友情ではないもっと深いところにある信頼感と正義感、強い気持ちにがんばれと応援してしまいます。最後は涙とともに清々しさが残りました。 55歳というのはどういう年齢なのか。シニアと呼ばれるにはまだ早く、それでいて明らかに人生の下り坂に入っている。わたし自身も常にもやもやしたものが頭の中に渦巻いている感じなので、小説の主人公たちの苦悩や現実に対する失望感、それでも、何とかっていう気持ちがよくわかります。(苦笑) あとがきで、その人が過去に誰とどのように信頼関係を築いてきたかということが、5編に通じる共通点だと書かれていました。また、「信頼」という言葉と概念をこれほど意識して書いたことはない、ともありました。 自分の過去に対して誰とどのように信頼関係を築いてきたかと問われたら、ちょっと答えられません。でも、確かに人との交わりの中で自分の過去が形成されてきたことは事実です。そしてその経験がこれからの人生の糧 (かて) になるのかもしれません。 しかし、人生の下り坂で厳しい現実に落ち込むことは多々あります。そんな時、どうギ...

言の葉の庭、、、万葉集ありき

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あまりに暑いので散歩どころではありません。 今回は新海誠監督作品の話をしますね。 映画館で「君の名は」を見てその映像美にすっかり感心してしまいました。 「君の名は」についてはわたしのサイトの 虹サロン で書きましたので、よかったらそちらをご覧ください。 そして先日テレビで「言の葉の庭」を見ました。 日常の何気ない景色が、新海誠監督の手にかかるとこれほどまでにみずみずしくなるのかと、またもや感心してしまいました。 「言の葉の庭」の題名にある通り、美しい言の葉として、万葉集の和歌がでてきます。 鳴る神の 少し響 (とよ) みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留 (とど) めむ 意味は、雷の音が少し聞こえ、空模様も曇ってきた。雨が降ってくれれば、あなたを留めておくことができるのに。といった感じです。雷のことを鳴る神というのが万葉の時代を彷彿(ほうふつ)させます。 それに対して返し歌として 鳴る神の 少し響 (とよ) みて 降らずとも われは留 (とど) まらむ 妹し留 (とど) めば 雨なんか降らなくても、君が望むならここにいるよ。 万葉の時代、貴族はひまだったのか、はたまたまめだったのか、恋路にそそぐエネルギーは相当なものです。でも、こうして当時の和歌が今アニメでうたわれるというのはとても新鮮です。 映画では、主人公の高校生が恋心をよせる年上の女性が、実は同じ高校の古文の先生で、この和歌のやりとりが重要な役割を果たしていました。 雨の描写がすばらしい。宮崎駿監督の「となりのトトロ」では雨の中でトトロと出会うシーンが大好きでしたが、「言の葉の庭」では雨の新宿御苑のあずまやで二人が出会います。しとしと降る雨やザーザーと降る雨、いろいろな雨が描かれます。そして、二人の親しさが増していくシーンではあずまやの藤だなに藤の花が咲いていました。 全然違うけど、こんな雰囲気で。 藤の花に木漏れ日があたってすごくきれいでした。藤の花に万葉集の組み合わせ、まさに鉄壁ですね。 高校のころは古文があまり好きではありませんでした。未然形、過去形、已然形など文法にとらわれて言葉の意味を感じることができなかったのです。今もこれらの ~ 形の言葉が好きになれません。(苦笑) でも、万葉集が映画の中に出てくると、言葉が...

わが青春の? 合歓 (ねむ) の木

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合歓 (ねむ) の木、いつもウォーキングをしている公園で合歓の木を見つけました。今まで全く気づかずにいましたが、こんなところにあったのかと驚きです。 全体像 花の部分 ピンクの部分が花です。綿毛のようなこの花が夜になるとぴたっとくっつくそうで、眠っているように見えたのでしょう。また、歓び合うという漢字は中国由来で、男女の営みを表わし、夫婦円満の象徴とも言われています。(Wikipediaより)  なかなか意味深ですね。 英語では「Silk Tree」たぶん、ふわふわした花を見て絹を想像したのかもしれません。人の見方というのはおもしろいですね。花言葉は「歓喜」「夢想」古くから人々に愛されてきた樹木です。 私が思い出すのは、宮城まりこ氏が設立した「ねむの木学園」障害児のための養護施設です。1970年代、設立当時ずいぶんと話題になりました。彼女は現在も存命で学園も運営を続けています。長きにわたる功績は賞賛に値します。 そして、ねむが漢字で合歓と書くことを知ったのはまた別で、昔、ヤマハが主催していたポプコン (ポピュラーソングコンテストの略) が 合歓の郷  というヤマハが運営するリゾートで開かれていました。 このポプコン、中島みゆきの「時代」や世良公則 (ツイスト)の「あんたのバラード」などを世に出し、シンガーソングライターの登竜門でした。(うわっ、青春だな。) こんなふうに、長い間わたしの中の偶像であった「合歓の木」ですが、実際に実物を見ると少し感動します。 たぶん今まで忙しかったり、余裕がなかったりで、実際にあるものでも目に入らなかったのだと思います。 このブログの名前の「よりみち」ですが、時々は立ち止まって、花の名前、木の名前を覚えるのも楽しいですよ。

少し残念な、、、柏葉紫陽花 (かしわばあじさい)

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雨の似合う花といえば、そう 紫陽花 (あじさい) ですね。 紫陽花の中で柏葉紫陽花 (かしわばあじさい) があります。葉の形がかしわに似ていることからその名がつきました。 細長い円錐の独特な形で、花の中央に薄い緑があり、清楚な感じです。 わたしはこの花すごく好きです。ただし、、、。 残念なのはその全体像です。  何、これって感じがしませんか。何だか白いパイナップルのようです。 時々、このような育った かしわばあじさい  を見て、とても複雑な思いがします。 ちょっと不似合いなファッションを見ているような感じです。 そのせいか、かしわばあじさいを見かけると一瞬あっと思って、その後必ず近寄ってしまいます。 紫陽花の季節が終わりに近づいてきました。 雨に濡れてぐったり重くなったかしわばあじさい、花は変わらず白くて美しいです。

ミス・マープルとランタナ

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ひとつ前の記事のターシャ・テューダーのところで触れた  ミス・マープル、 アガサ・クリスティが創り出した主人公の一人です。 クリスティの推理小説の中で活躍するのは、どれも個性的な人物ばかりです。 エルキュール・ポアロ、ミス・マープル、トミーとタペンス、、。 その中でもわたしが一番好きなのは、ミス・マープルです。 独身の老婦人 ジェーン・マープル 、 イギリスのセントメアリーミード村に住んでいて、抜群の記憶力をベースに、難解な殺人事件を持ち前の好奇心と洞察力で解決していく。決しておどろおどろしくない、シャープな推理がさえます。 お茶の時間、手作りのクッキー、ガーデニング、編み物と、彼女の日常は穏やかで牧歌的です。どちらかというとポアロは大げさで、クリスティが毒を少し込めた描写が多いような気がします。その点、ミス・マープルはクリスティの人生が投影されたような自然な感じです。 ランタナ さて、上の写真は 「ランタナ」 です。 ミス・マープルにはイングリッシュガーデンのバラよりも、このランタナの方が似合うと思います。小さな小花が集まっておしゃべりしているような感じがしますね。 また、ランタナは色が変わっていくことから別名 「七変化」 とも言われています。 普通のかわいいおばあさんがシャープな頭脳で事件を解決していく展開は、この七変化に重なります。 ちなみに、ランタナの花言葉は「心変わり」「合意」「協力」「厳格」。 花の開花期も5~11月と長く、丈夫で育てやすい植物です。 小さい体ながら意志が強くて勇敢、コミュニケーション能力が高く、人の力を借りながら事件を解決していくミス・マープルに通じるかもしれません。 ランタナとミス・マープル、少々こじつけな記事になってしまいました。 それにしても、アガサ・クリスティ、こうして書いているとまた読みたくなってきます。推理小説なのにいつ読んでもおもしろい。 (筋を忘れてしまったりもありますが) 不思議な魅力があります。 わたしのおすすめは「火曜クラブ」、短編なので気楽に読めます。それぞれの話が面白くてミス・マープルがスパッと事件の真相を明らかにしていくのが痛快です。