ゴッホ展、巡りゆく日本の夢
10月の「ボストン美術館展」に続いて「ゴッホ展」へ。
再び、東京都美術館に行ってきました。
(ボストン美術館展については先のブログで書いていますのでよかったら読んでみて下さい。)
ゴッホ展、今回は「巡りゆく日本の夢」のサブタイトルで日本の浮世絵がゴッホに与えた影響をテーマにしています。
チラシはこちらです。
再び、東京都美術館に行ってきました。
(ボストン美術館展については先のブログで書いていますのでよかったら読んでみて下さい。)
ゴッホ展、今回は「巡りゆく日本の夢」のサブタイトルで日本の浮世絵がゴッホに与えた影響をテーマにしています。
チラシはこちらです。
ゴッホが描く浮世絵の模写、何だかえぐいなぁというのが正直な感想です。(笑)
でも、面白いですね。
花魁 (おいらん) なんて全く知らないゴッホが、浮世絵を見て日本文化にすごく興味をもったこと、
そして、何よりも1887年当時にこうした浮世絵がパリで流行したということにも衝撃を受けます。
1878年のパリの万国博覧会に遡ったころ、すでにヨーロッパの美術界では「ジャポニズム」とよばれる日本美術ブームが起きていました。
今回の展示では広重や北斎の絵も数多くありました。
版画のため大量に刷ることができた「浮世絵」は安価で購入でき、しかもその色使いや多色刷りの見事さなど、当時のヨーロッパ美術界に驚きをもって迎えられたのです。
歌川広重 亀戸梅屋敷 |
「浮世絵」の平面的な構図はゴッホにも大いに影響を与えたようです。
ゴッホの絵は、厚塗りと波打つような筆致で圧倒させられる作品が有名ですが、今回のゴッホ展では、厚塗り以前のおとなしい作品も多く展示されていました。
ああ、こんな優しい感じの絵もあったのかと興味深かったです。
上は買ったポストカードから、今回私の一番好きなゴッホの絵です。
手前の木の描き方はいかにもゴッホらしいタッチですが、構図は浮世絵の影響を受けていますね。
何気ない絵ですが、気に入ってしまいました。
それにしてもゴッホのイメージした日本とはどんな世界だったのでしょうか。
解説によると、本当に素晴らしい楽園のような思いをもっていたようです。
たぶん、画家の目としてでしょうけど、浮世絵に出てくる梅、桜などから描く素材に事欠かないと思ったのかもしれません。
他にも1887年当時、日本に1年ほど滞在したピエール・ロティの「お菊さん」という小説が流行していて、挿絵付きで紹介されていました。
あの「蝶々夫人」のような外国士官と日本人娘のひとときの恋愛話ですが、日本人の生活習慣が垣間見れる内容です。
お菊さんは芸子だったのかな、たぶん。
挿絵を見ているだけでも、日本への興味がわいてきます。
また、浮世絵の売買も盛んで、広重、北斎、国芳、歌麿、の絵の図録も展示されていました。本当に大人気だったことがわかります。
江戸時代の長崎出島での商いから、明治になって横浜や神戸などから文化として一気にヨーロッパに広がったのですね。
何だか歴史の波を感じます。だってすでに浮世絵師はみんな死んでいるのですから。
みんなあの世でびっくりしていることでしょう。(笑)
とにかくもゴッホですが、そんな浮世絵の影響を受けつつも、だんだんと精神的に破綻をきたしていき、あの厚塗りの波打つような筆致になっていきます。
不思議なことですが、精神が侵されていったことで、彼独特のスタイルが確立されていくのです。
わたしが言うのもおこがましいですが、芸術とは命を削って作られるのかもしれません。
上の絵は、やはり買ったレターケースから。
手前にアイリスが描かれ、全体的に穏やかな景色です。
精神的に安定した時期に描いたのかもしれません。
彼は37才で自ら命を絶ちます。
最後の方はまるで憑かれたかのように絵を描き、3日で1作品を仕上げていきました。
活動期間が短いわりに多くの絵が残っているのは、この生き急いでいたかのように絵を描き続けていたからです。
ゴッホに魅了され、彼の描いた「オーベールの教会」やゴッホの墓を訪ねた日本人の記録も展示されていました。
八ミリで撮影された動画もあり、当時が偲ばれます。
そしてその訪れた日本人の数はかなり多く、その中には画家の佐伯祐三もいて、彼の描いた「オーベールの教会」も展示されていました。
日本文化がゴッホに影響を与え、そのゴッホに魅せられた日本人の多いこと。
こうして度々開かれる「ゴッホ展」、これからも多くの人が彼の絵に会いに来るのです。
わたしもその中の一人ですが。(微笑)