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坂の上の雲を読んで

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司馬遼太郎著の 「坂の上の雲」 全6巻を読了しました。 ああ、読み終わったなという感じと、 ちょっと淋しいなと思う気持ちが正直交錯しています。 よし、読み終わったら感想を書くぞと、ずっと思っていたのですが、 いざ読み終わると何から書いていいものか、 頭の中が全然整理されていないのです (苦笑)  まあ、とにかく書き進めてみようと思います。 先ず 「坂の上の雲」 というタイトルの響きにぐっときます。 清々しい青空に白い雲という明るい情景が浮かび、 次に希望に向かって進む明確な強い意志を感じます。 そして、この素晴らしいタイトルに著者の熱い気持ちが伝わってくるようです。 主人公達は、 正岡子規、秋山真之(さねゆき)、秋山好古(よしふる) の3人 子規と真之は明治元年生まれ、好古はそれより少し前の江戸時代の末期に生まれています。 明治という新しい時代の気運が、彼らの人生に「坂の上の雲」という明るい希望を持たせました。 この明治初期のドタバタの時期、普通の人が才能と個性を発揮したところに、 奇跡のような、いえ、必然のようなものを感じます。 前半はこのドタバタの時代の中で、これまた大いに彼らの青春ドタバタ劇が発揮されていきますが、その中でも子規の天真爛漫な明るさが光ります。 実はこの「坂の上の雲」という長編小説を読もうと思ったきっかけは、この正岡子規の明るさにありました。 前の投稿で伊集院静著の 「ノボさん」 の感想を書きましたが、子規には人間的魅力がありふれています。 あとがきで、著者も子規の天衣無縫な人間性に惹かれたと書かれていました。 大作家と同じ思いだったなんて感激です。 しかし、子規は35歳という若さでこの世を去るので、小説の中盤からは真之と好古の二人が主人公となり、 日露戦争 という大きな歴史の渦の中に突入していきます。 そして、この日露戦争そのものがこの小説の大きな主題になっていくのです。 日露戦争 (明治37年~38年(1907~1908)) 正直、私自身、これまで日露戦争については  東郷元帥、バルチック艦隊、乃木将軍、 203高地 と単語はでてくるものの、単なる歴史の通過点くらいの知識しかありませんでした。 戦争というのは当たり前ですが、壮絶な戦いの連続で、読み進め...

東山魁夷展を見て

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国立新美術館で開催の東山魁夷展に出かけた。 東山魁夷 、日本人なら誰もが知る国民的風景画家である。 かくいう私もカレンダーを2度買っている。 だから、当然のごとく知っているはずだった、、、。 が、しかし何も知っていなかったことを思い知らされた。 先ず、東山魁夷は日本画家だという認識が薄かったように思う。 これは東山画伯の絵が日本的というよりも、写真のようにヨーロッパ (特に北欧) の香りを放っていたものが多かったからかもしれない。 深い森の中にいる白い馬、まるで絵本の中の世界だ。 大きな絵からは引きしまった空気感を感じる。 シーンとした澄んだ冷気のようなものだ。 そこには日本画の枠を越えた、もっと自由な表現がある。 展覧会は大体画伯の年表どおりに進んでいく。 そう言えば、今まで全くといっていいくらい画伯の年齢や顔などは知らなかった。 今回現実的に年表をたどってみると、 明治41年(1908)の生まれで、平成11年(1999)に90歳で亡くなっている。 つまり、 明治、大正、昭和、平成  と何と4つの元号を生きたのだ。 これだけでもすごい。 日露戦争後に生まれ、その後の戦争を含むさまざまな困難な時代を生きたにも関わらず、 画伯の絵は常に穏やかで澄んでいる。 そして、ヨーロッパの旅、京都への旅、それぞれのテーマを自己に課しながら 作品は繰り広げられていく。 そこにはわたしの知っている 「 静寂」 そのものの絵があった。 今回の展覧会でもっとも素晴らしかったのは、 何といっても 唐招提寺の障壁画 の数々であった。 これらの大作は約10年を要し、画伯はこの仕事を全うするために全精力を傾けた。 これまでの絵がまるで序章だったかのように、唐招提寺の障壁画は圧巻だった。 まさに日本画家としての本領を発揮したのではないだろうか。 2000枚にも及ぶスケッチの数々、膨大な中からの緻密な計算 あまりにも気が遠くなるような作業。 そして出来上がったのは、ダイナミックな構図と繊細さを兼ね備えた美しい景色である。 唐招提寺の障壁画「黄山暁雲」 日本経済財新聞社編、東山魁夷への旅より 上の「黄山暁雲」と「揚州薫風」「桂林月宵」は黒と白の墨絵で描かれている。 なんという悠久の世界...

ノボさん (小説 正岡子規と夏目漱石) を読んで

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ノボ さんとは正岡子規のことである。 教科書に載っていた、 そう、あの横顔の写真の人。 子規の幼名のノボルからきている。 彼は生涯、多くの人から親しみを込めて ノボ さんと呼ばれた。 9月19日は正岡子規の命日で 明治35年(1902)没だから今から100年以上も前になる。 その彼が晩年の8年余りを過ごした終の棲家が今でも「子規庵」として保存されている。 何だかすごいことだと思う。 もともと、わたしが正岡子規について知っていたことと言えば 「柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺」 の有名な句と前述のあの横顔の写真くらいだったと思う。 花の写真を撮るうちに、花にまつわる俳句を調べ始めた。 そうするうちに、子規の俳句を次々に目にすることとなる。 さらっと描写していながら、 どこかユーモアのある句ばかり、 芭蕉の句も素晴らしいけれど、子規の句は日常の些末なことを題材にしていて、 しかもすごく楽しげだ。 でも、その生涯が35年と短いこと、 ついには子規庵を訪ね、 その小さな庵での晩年の生活を垣間見て、尚更彼のことが知りたくなった。 そして、伊集院静の著作 「ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石 」 である。 この本で初めて子規と漱石が親友だったことを知り、短くも自由闊達で壮絶な子規の生涯を改めて知ることができた。 因(ちな)みに子規とはホトトギスのことで 結核に侵され喀血した己の姿を見て、嘴 (くちばし) の赤いホトトギスに自らが例えた。 この辺が子規の悲しい出来事も面白おかしくしてしまう、ユーモアセンスあふれるところだと思う。 この本のサブタイトルになっている、夏目金之助 (後の漱石)との出会いは運命的だ。 この二人、性格は正反対だが、落語や浄瑠璃が大好きという遊び心の点からだんだんと親密になっていくところが面白い。 二人ともこれはいいと思ったことに対するこだわりが半端でないのだ。 特に子規の野球に対する情熱はすごい。 俳句に対する情熱、小説に対する興味、子規の熱情が漱石の心を動かしていく。 子規の人物眼は大したもので、漱石の才能をいち早く認めている。 二人の書簡のやりとりもまた微笑ましい。 そんな青年時代のはつらつとしたノボさんが、悲しいかな、血を吐いてしまう。 そして、結...

西郷どん

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NHKの大河ドラマ「西郷どん」見てますか ? 昨年の「直虎」に続き好調をキープしているようですね。 わたしも見てます。 西郷どんと書いてすでに「せごどん」と呼ぶことに違和感はありません (笑) 今まで数々の大河ドラマを見てきたので西郷隆盛という人物については 知っているはずだと思っていたのですが、けっこう知らないことだらけです。 そういえば今までは坂本竜馬だったり、長州藩や、はては会津藩が主役の話だったりで 西郷さんは突然出てきていつの間にかいなくなった人だったような気がします。 それでも個性が強いので、ちょっと出ただけでも印象的でしたが、。 今回の「西郷どん」では彼のカリスマ的な死に動じないそのヒストリーに、 もはや尊敬の念を抱いております。 しかし、彼の悲しい行く末を知っている我々にとっては、 これからの展開が楽しくもありはたまた悲しくもありと複雑な心境です。 それにしても薩摩という江戸から遠く離れたところで起こる革命劇は、想像もできないほど熱い。 江戸から離れていたことにより目が届かなかったのかもしれませんが、 まして奄美大島や沖永良部島に流されていたことは、もう死んだも同然の身の上です。 そんなロビンソンクルーソー的な生活の中で生き残って、時代の表舞台に登場すること自体が運命的な感じがします。 そして、徳川慶喜の描き方もまた面白い。 歴史的な大政奉還後も毎日が日曜日のような生活をして生き続けた彼もまた、 強い人間だったのかもしれません。 人の世はそれぞれ、 歴史的な登場人物の生き方もまた現代に通じるものがあるように思います。 ただ、それでも時代の立役者たちが次々に命を散らしたことは本当に残念です。 坂本龍馬や小松帯刀が生き続けていれば、西郷さんの運命も変わったかもしれません。 まあ、もし、だったらというのはやめましょう。 長く生きるのも家康のように強運と忍耐、生きる能力が必要です。

FIFAワールドカップ

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サッカーのワールドカップ にわかサッカーファンの私がどうのこうのいう立場ではないが、 やっぱり4年に1度のサッカーの祭典は楽しい。 普段はあまり気乗りしないわたしも、この時ばかりはテレビにくぎ付けになる。 ロシア開催ということで試合が夜中になっているのが辛いが仕方がない。 それにしても日本のチームが正直ここまでやれるとは思わなかった。 かえすがえすも決勝トーナメントのベルギー戦は惜しかったな。 それでも昔に比べるとうまくなったということもあるが、選手が堂々としているなと思った。 日頃、外国のチームで契約してプレーしている選手が増えたからだろう。 素晴らしい戦いぶりだったと思う。 思えばJリーグが始まってから25年あまり経つんだな。 当時のスター選手の三浦知良がすでに50を超えているのだから、、、。 昔、職場の同僚の女の子が「ドーハの悲劇」の翌日、泣きはらした目をしていたことを思い出す。 今回、テレビでラモスや木村和司や岡田さんなんかがテレビで語り合っているのを見てちょっとウルっときてしまった。(笑) 彼らが興奮するのも無理はない。ワールドカップ出場なんて夢だったのだから。 話を戻すが、ワールドカップは大詰めになってきた。 ロナウドもメッシも舞台から去り、結局ベスト4に残っているのはヨーロッパ勢ばかりになってしまった。日本を破ったベルギーもその中にいる。 あともう少しワールドカップの熱戦に酔いしれようっと。

青春とはなんだ

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我ながら訳の分からないタイトルだ。 そういえば昔、こんな青春ドラマがあったな。 まあ、大昔のことは置いといて。 青春と口に出すのはかなり憚られるが、あえてタイトルにしたのは訳がある。 西城秀樹 が亡くなったことが自分でも相当ショックだったからだ。 わたしは彼のファンではないが、それでも彼の全盛期を知っている世代である。 テレビではやたらに 「ヤングマン」 を歌う姿が流れていたが、 私の中ではやはり「傷だらけのローラ」を歌っていたころが思い出される。 あの絶叫する歌唱、まるで芝居をみているような感情移入されたセリフ、 少女漫画に出てきそうな衣装、 やっぱり昭和だったのだ。 今思うと自分の青春時代とはいったい何だったのだろう。 そう、青春とはなんだと自身に問いかけてみる。が、何とも朦朧としてよくわからない。 あのころのアイドル達だけが明確な印象を残している。 郷ひろみ、野口五郎、西城秀樹 御三家と言われたスター達 アイドルが時代を象徴するものなのだと今はよくわかる。 そんな御三家の中で、最もエネルギッシュだった西城秀樹が48歳で脳梗塞に倒れたときは本当に衝撃を受けた。 彼のアイドル時代の姿から、最も病気が似合わない人だと思ってしまっていたからだ。 その後も再び脳梗塞を発症し、それでも不屈な精神で舞台に帰ってきたときは涙が出た。 今回の訃報で、最初に思ったのは「どうして」という感情だった。 自分の青春時代に輝いていた人が亡くなるというのはものすごく悲しい。 世の中が変わる中で人も年老いていく。 こればっかりはどうしようもない。 でも、63歳という年齢はあまりにも若すぎる。 テレビで樹木希林さんが彼について、生ききったと思うとコメントされていた。 そうであってほしい。 それでも、おじいさんになった秀樹も、たぶんかっこよかったろうな。 どうか安らかに 合掌

鉄人衣笠逝く

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鉄人 と呼ばれた男、衣笠祥雄の訃報を聞き、ものすごい衝撃を受けた。 今年はすでに1月の初めに 燃える男 、星野仙一の訃報があったというのに、、、。 人の寿命は本当にわからないと改めて思う。 星野が70歳、衣笠が71歳、まだまだ早すぎる死である。 今やメジャーリーグで日本人が数多く活躍する時代になった。 それでもなお、巨人が強かったあの時代は野球の全盛期だったと思う。 わたしは巨人ファンではないが、王、長嶋をはじめスター選手がプロ野球にはたくさんいた。 今のイチローや大谷などとはちょっと違うと思う。 どう違うのかと問われてもはっきりと答えられないが、プロ野球がもっと生活に密着していたからだと思う。 その中で赤ヘル軍団と呼ばれる広島東洋カープは、広島市民の星といった熱いチームである。そしてそれは今でも続いている。 巨人のV9以降、セリーグは混沌としてくる。 当時、古葉監督率いるカープが優勝した時はすごかったなと思い出す。 広島には不動の4番の山本浩二がいたが、鉄人と呼ばれた衣笠は常にスタメンで登場し、フルスイングを繰り返していた。 あの独特の顔でにかっと笑う笑顔は印象的だった。 衣笠の背番号は「3」です。 星野仙一もまた印象的な選手だった。 マウンド上でもその性格丸出しのガッツあふれる投球は、燃える男の名称にふさわしい。 常に全力投球で、そして常にマウンド上で怒っていたように思う(笑) 鉄人 と 燃える男 がいなくなってしまった。 寂しい。 二人とも安らかに ご冥福をお祈りします。

平昌オリンピック、フィギュアスケート

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何を今更と思うほど時間がたってしまいました。 既に桜も終わろうとしてしまっているなんて焦ります。 平昌オリンピック 、ニュース性も大分薄れてしまいましたが、 忘れないうちに少し書きたいと思います。 まあ、何といっても個人的に一番印象に残っているのは、男子フィギュアスケート です。個人の感想なのでご了承ください。 そして、主役はやはり 羽生結弦 君です。 今、気づいたのですが「はにゅうゆずる」と入力しても漢字変換されないのですね。 なぜって感じです。 そう、この写真を見ると蘇ります。 宇野君の滑りも大好きなんですが、今回は羽生君のショートプログラム、フリースケーティング、ともに感動しました。 どちらも今まで何度も見ていたプログラムだっただけに、自分の中でもすでに作品として定着していました。 特にフリーの 「清明」 は完成度の高いプログラムです。 日本的でありながら、途中韓国ドラマのような音楽が流れ、郷愁を誘います。 フィギュアはここのところショート、フリーともに芸術的な要素が高くなってきました。 高橋大輔のバンクーバーの時の「道化師」や浅田真央ちゃんの「鐘」などかなり難解でしたね。 さておき、今回の羽生君の「清明」はそれらのプログラムに劣らない、素晴らしい作品だと思います。そして音楽にぴったり合ったその演技は、見るものに心地よさと清々しさを与えました。 昨年暮れの怪我からの復活、そのすさまじい勝負への執念と努力に対して、世界中から「AMAIGING」と言わせた彼の演技は素晴らしかったです。 そして、銀メダルの宇野君の演技もよかった。 日本人選手が金と銀なんて、本当に数年前は考えられなかったことです。 これからも素晴らしいブログラムに酔わせてくれることでしょう。 とりあえず今日はこのへんで。 スピードの早い世の中ですが、思い返すことも必要です。!(^^)!

103歳になってわかったこと

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平昌オリンピックが終わって少しぼーっとしてしまいました。 そんな方もたくさんいるのではと思います。(笑) この話題については次回触れることとしますね。 さて、宿題の一つ 「103歳になってわかったこと」 篠田桃紅著の感想を書きます。 篠田桃紅氏は墨で描く美術家として知られていますが、残念ながらわたしは彼女の作品をまだ見たことがありません。 彼女を知ったのは図書館で見た雑誌、 ハルメク の中のエッセイでした。 先ず103歳という年齢に驚き、次に淡々とした文章に清々しいものを感じました。 なんて潔い方なんだろう、まったくぶれていないその生き方にすごく興味をもったのです。 実は今回「103歳になってわかったこと」を読む前に、先に書いた五木寛之氏の「孤独のすすめ」を読みました。 五木寛之氏の85歳もまあ元気だなと思いましたが、篠田桃紅氏の103歳という年齢には正直すごすぎるという言葉しかありませんでした。 本人もまた自身の年齢について 「百歳はこの世の治外法権」 と明言しているので笑ってしまいます。 珠玉の言葉がたくさん出てきます。以下は一部です。 生まれて死ぬことは、考えても始まらない。 自らに由れば、人生は最後まで自分のものにできる。 自らの足で立っている人は、過度な依存はしない。 自分という存在は、どこまでも天地にただ一人 老いたら老いたで、まだなにができるかを考える。 夢中になるものが見つかれば、人は生きていて救われる。 真実は見えたり聞こえたりするものではなく、感じる心にある。 相手に従うのではなく、お互いに違うことを面白がる。 心に染みる言葉ばかりですね。 そして、最終章の 「昔も今も生かされている」 では自身の半生を語っています。 身内の死と戦争体験、自身の肺結核を患ったこと、そして両親の思い出など。 そして、生きていることに感謝と生かされていることに謙虚であることを語っています。 五木寛之氏と篠田桃紅氏、男性と女性の違いもありますが、それぞれの人生観は共通点も多いと思いました。 五木寛之氏の 「孤独のすすめ」 に対して、篠田桃紅氏の本の副題は 「人生は一人でも面白い」 です。 所詮、自分の人生なんだから自分のために楽しまなきゃねというのが結論でしょうか。 お二方とも小説家と...

孤独のすすめ

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こんにちは。 立春に入り少しずつですが春めいた陽気になってきました。 それでも、北陸地方では長く雪が降り続き苦労されていること、胸が痛みます。 さて、今回の題の 「孤独のすすめ」 についてです。 いきなり何だろうと思われるかもしれませんが、本の題名ですからご心配なく。 五木寛之氏の本です。 今年初めの投稿でこの本を読もうと宣言しましたが、初心を忘れないうちにと読了しました。続いて、篠田桃紅氏の 「103歳になってわかったこと」 も読んだので、備忘録として忘れないうちに感想を書こうと思います。(笑) 今回は五木寛之氏の「孤独のすすめ」を、 副題として「人生後半の生き方」と書かれていて、帯に書かれている「人は年をとると孤独という自由を手に入れる」という言葉も印象的ですね。 85歳の著者が言うのだから説得力があります。 周りに左右されずに個人として孤独を楽しむことが、人生を充実させること、 そのためには下記のことに気づくべきだと言っています。 ポイントを書きますね。 1. 諦めるということは、明らかに究めること。   自身の衰えや疲れを素直に認めること、そのうえでシフトダウンを考える。   そして人生の後半戦は長いということを自覚すること。   2. 人生には季節と同じで四季がある。それは 「青春」「朱夏」「白秋」「芒冬」   山に例えるなら青春、朱夏は 登山 で白秋、芒冬は 下山である 。   人生の四季において自分がどこの位置にいるのかを見究めることが大事。   人生の醍醐味は下山にある。 3. 日本の現実は「心配停止」社会だ。   豊かな老人と貧しい若者たち、根底には嫌老感がある。   嫌老から賢老社会へ。    人それぞれいろいろな人生を送ってきたことでしょう。 でも、歳を重ねていくとみんな人生の後半戦に向けての同じスタートラインに立つんだなと思います。 著者は自分自身の過去も振り返りながら、また日本という国のこれからにも気を配りつつ、暖かなそして客観的な視線で淡々と語りかけてきます。 深い話なので、感想はなかなか難しい。 ただ人生にも四季があるというのは新鮮でした。 青春 はもう遠く思い出すのももどかしいけれど、一番働き盛りは 朱夏 ということ、 そして自分は明らかに ...

大寒

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二十四節気でいうところの 「大寒」 に入りました。 大寒は 1/20~2/3 を言います。 以前、二十四節気の記事のところで触れた 「 七十二侯 」 では、さらに 初候 、 次候 、 末候 と分けられ下記になります。 初候  --- 蠟梅擬蜜 --- ろうばいみつになぞらえる 次候  --- 蕗薹孕苞 --- ふきのとうほうにはらむ 末候  --- 薺生雪下 --- なずなゆきのしたにしょうずる 七十二候は数が多いので、ここで全てを紹介するのは諦めるとして、季節ごとに時々書こうと思います。 四文字の漢字も難しいのですが、ひらがなを見てみると植物で季節を表わしていることが解ります。 蠟梅(ろうばい)、ふきのとう、なずなと、いずれもああと思いますね。 だんだんと雪の中で植物が芽を出してきているということを感じます。 昔の人は、確かに農作物の作業の目安のために七十二侯を考えたのでしょうが、季節の言葉としても楽しんでいたように思いますね。 下の写真の水仙は、大寒の前の前「冬至」(12/22 ~ 1/4) の 末候の 水仙鮮香 (すいせんあざやかにかおる)です。 今の時期、水仙の花の白と黄色に清々しさを感じます。 黄色の部分は口を尖らせたようで、シンプルな花の中のアクセントとなっていてかわいいですね。 とにかく七十二侯は 5日刻みなのですぐに終わってしまうため忙しいです。(笑) 奇しくも大寒に入り関東でも大雪が降りました。 しかも草津では本白根山が噴火し、自然というものの凄さを改めて知ることになりました。 しかしながら、考えてみると季節の営みや自然の脅威というのは、私たち人間の歴史より遥か遠い昔から繰り返されてきたことなのです。 科学が進歩しても自然が引き起こす脅威を予測することは難しい。 特に草津は昔スキーで何度か行っていたので本当に驚きました。 被害に合われた方には心よりお悔やみを申し上げます。 さて「大寒」が終わると次はいよいよ 「立春」 、 暦の上では春になりますね。 立春の初候は 「梅香馥郁」 (ばいかふくいくたり)です。 他の花には悪いのですが、本命登場を待つばかりですね。 冬来たりなば 春遠からじ まだまだ冬のさなかです。 風邪などひかぬよう、体にお気をつけ下さい。 それから凍った雪道...

和して同せず

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あけましておめでとうございます。 2018年、平成30年 戌年 (いぬどし) のはじまりです。 といってももう七草が終わって、お正月気分も薄れてしまいましたが、、。 本当は昨年暮れに一年を振り返ろうと思っていたのですが、何と新年も早一週間が過ぎてしまいました。 まあ、言い訳はこのくらいにして今回のお題は 「和して同せず」 です。 和して同ぜずとは、人と協調はするが、道理に外れたようなことや、主体性を失うようなことはしないということ。 『論語・子路』で孔子が「子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」と言ったのに基づく。 君子は誰とでも調和するものだが、道理や信念を忘れてまで人に合わせるようなことは決してしないということ。 「同ぜず」は「同せず」ともいう。 ( 故事ことわざ辞典 http://kotowaza-llguide.com/wa/washitedouzezu.html) なぜ、 「和して同せず」 この言葉をここで書こうと思ったのかというと、昨年暮れのテレビで五木寛之へのインタビュー番組をたまたま見たからです。 五木寛之といえば、あの「青春の門」で小説、映画ともに1970年代を代表する作家です。 もちろん、今でも「百時巡礼」で颯爽とした姿を拝見していましたが、すでに齢八十五歳と聞き、今更ながらびっくりしました。 わたしの青春時代、まさに五木寛之の油がのっていた時期で「青年は荒野を目指す」「さらばモスクワ愚連隊」「デラシネの旗」など読みふけったものです。 その五木寛之が今の長寿社会をどう生きるかを冷静に話していました。 その中で出てきた言葉が 「和して同せず」 です。 この言葉はわたしの中にすっと入ってきました。 少なくても現代において、この「 和して同せず」は仕事でもプライベートでも通用する思想だと思います。 それを人生の後半戦でさらに勧められたわけです。 火野正平が自転車で各地をめぐる「こころ旅」で度々発するあの「人生下り坂 最高」の言葉と匹敵するインパクトが「和して同せず」にはあります。(苦笑) 友人にこのことを話したら、あなたの場合は「和さず同せず」だよと一笑されました。 そんなにアウトローだったかなと反省しきりですが、これからはこの「 和して同せず」で大人になってやっていこう...