ノボさん (小説 正岡子規と夏目漱石) を読んで
ノボさんとは正岡子規のことである。
教科書に載っていた、
そう、あの横顔の写真の人。
子規の幼名のノボルからきている。
彼は生涯、多くの人から親しみを込めて
ノボさんと呼ばれた。
9月19日は正岡子規の命日で
明治35年(1902)没だから今から100年以上も前になる。
その彼が晩年の8年余りを過ごした終の棲家が今でも「子規庵」として保存されている。
何だかすごいことだと思う。
もともと、わたしが正岡子規について知っていたことと言えば
「柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺」
の有名な句と前述のあの横顔の写真くらいだったと思う。
花の写真を撮るうちに、花にまつわる俳句を調べ始めた。
そうするうちに、子規の俳句を次々に目にすることとなる。
さらっと描写していながら、
どこかユーモアのある句ばかり、
芭蕉の句も素晴らしいけれど、子規の句は日常の些末なことを題材にしていて、
しかもすごく楽しげだ。
でも、その生涯が35年と短いこと、
ついには子規庵を訪ね、
その小さな庵での晩年の生活を垣間見て、尚更彼のことが知りたくなった。
そして、伊集院静の著作「ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石 」である。
この本で初めて子規と漱石が親友だったことを知り、短くも自由闊達で壮絶な子規の生涯を改めて知ることができた。
因(ちな)みに子規とはホトトギスのことで
結核に侵され喀血した己の姿を見て、嘴 (くちばし) の赤いホトトギスに自らが例えた。
この辺が子規の悲しい出来事も面白おかしくしてしまう、ユーモアセンスあふれるところだと思う。
教科書に載っていた、
そう、あの横顔の写真の人。
子規の幼名のノボルからきている。
彼は生涯、多くの人から親しみを込めて
ノボさんと呼ばれた。
9月19日は正岡子規の命日で
明治35年(1902)没だから今から100年以上も前になる。
その彼が晩年の8年余りを過ごした終の棲家が今でも「子規庵」として保存されている。
何だかすごいことだと思う。
もともと、わたしが正岡子規について知っていたことと言えば
「柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺」
の有名な句と前述のあの横顔の写真くらいだったと思う。
花の写真を撮るうちに、花にまつわる俳句を調べ始めた。
そうするうちに、子規の俳句を次々に目にすることとなる。
さらっと描写していながら、
どこかユーモアのある句ばかり、
芭蕉の句も素晴らしいけれど、子規の句は日常の些末なことを題材にしていて、
しかもすごく楽しげだ。
でも、その生涯が35年と短いこと、
ついには子規庵を訪ね、
その小さな庵での晩年の生活を垣間見て、尚更彼のことが知りたくなった。
そして、伊集院静の著作「ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石 」である。
この本で初めて子規と漱石が親友だったことを知り、短くも自由闊達で壮絶な子規の生涯を改めて知ることができた。
因(ちな)みに子規とはホトトギスのことで
結核に侵され喀血した己の姿を見て、嘴 (くちばし) の赤いホトトギスに自らが例えた。
この辺が子規の悲しい出来事も面白おかしくしてしまう、ユーモアセンスあふれるところだと思う。
この本のサブタイトルになっている、夏目金之助 (後の漱石)との出会いは運命的だ。
この二人、性格は正反対だが、落語や浄瑠璃が大好きという遊び心の点からだんだんと親密になっていくところが面白い。
二人ともこれはいいと思ったことに対するこだわりが半端でないのだ。
特に子規の野球に対する情熱はすごい。
俳句に対する情熱、小説に対する興味、子規の熱情が漱石の心を動かしていく。
子規の人物眼は大したもので、漱石の才能をいち早く認めている。
二人の書簡のやりとりもまた微笑ましい。
そんな青年時代のはつらつとしたノボさんが、悲しいかな、血を吐いてしまう。
そして、結核菌が進行しついには脊椎カリエスを発症してしまうのだ。
体が弱っていく過程は本当に痛々しい。
それでも創作意欲は衰えるところを知らない。
そのうえ、食に対する情熱は今でいうグルメだ。
また、毎日のように師と仰ぐ人が次々と子規庵を訪ねてくる。
壮絶な闘病生活なのだが、どことなく笑ってしまうのは、ノボさんの天衣無縫な気質のせいなのだろう。
それでも時々癇癪をおこしては家人を振り回す。
それに対して母と妹の律は、愛情に裏打ちされた忍耐で淡々と接している。
特に律さんの献身的な看病には涙が出てしまった。
脊椎カリエスによる膿のため、毎日の包帯を替えることがどんなに大変な労苦であったか、、、
改めて結核という病気の恐ろしさを知った。
そして、とうとう命の終わりがくる。
絶筆3句は死の前日に書かれたものだ。
「糸瓜 (へちま) 咲きて 痰のつまりし 佛かな」
「をととひの へちまの水も 取らざりき」
「痰一斗 糸瓜の水も 間にあはず」
死の最後までユーモア一杯だなんて、、
涙が出てくる。
正岡子規、短くも熱く生きた一生。
ノボさんを読んでもっと子規が好きになった。
それから夏目漱石への印象も変わった。
また違う気持ちで彼の作品を読んでみようと思う。
子規庵には今年も立派な糸瓜が成っていた。
この二人、性格は正反対だが、落語や浄瑠璃が大好きという遊び心の点からだんだんと親密になっていくところが面白い。
二人ともこれはいいと思ったことに対するこだわりが半端でないのだ。
特に子規の野球に対する情熱はすごい。
俳句に対する情熱、小説に対する興味、子規の熱情が漱石の心を動かしていく。
子規の人物眼は大したもので、漱石の才能をいち早く認めている。
二人の書簡のやりとりもまた微笑ましい。
そんな青年時代のはつらつとしたノボさんが、悲しいかな、血を吐いてしまう。
そして、結核菌が進行しついには脊椎カリエスを発症してしまうのだ。
体が弱っていく過程は本当に痛々しい。
それでも創作意欲は衰えるところを知らない。
そのうえ、食に対する情熱は今でいうグルメだ。
また、毎日のように師と仰ぐ人が次々と子規庵を訪ねてくる。
壮絶な闘病生活なのだが、どことなく笑ってしまうのは、ノボさんの天衣無縫な気質のせいなのだろう。
それでも時々癇癪をおこしては家人を振り回す。
それに対して母と妹の律は、愛情に裏打ちされた忍耐で淡々と接している。
特に律さんの献身的な看病には涙が出てしまった。
脊椎カリエスによる膿のため、毎日の包帯を替えることがどんなに大変な労苦であったか、、、
改めて結核という病気の恐ろしさを知った。
子規庵のしおりと庭に咲いていた秋海棠 |
そして、とうとう命の終わりがくる。
絶筆3句は死の前日に書かれたものだ。
「糸瓜 (へちま) 咲きて 痰のつまりし 佛かな」
「をととひの へちまの水も 取らざりき」
「痰一斗 糸瓜の水も 間にあはず」
死の最後までユーモア一杯だなんて、、
涙が出てくる。
正岡子規、短くも熱く生きた一生。
ノボさんを読んでもっと子規が好きになった。
それから夏目漱石への印象も変わった。
また違う気持ちで彼の作品を読んでみようと思う。
子規庵には今年も立派な糸瓜が成っていた。