東山魁夷展を見て

国立新美術館で開催の東山魁夷展に出かけた。
東山魁夷、日本人なら誰もが知る国民的風景画家である。
かくいう私もカレンダーを2度買っている。

だから、当然のごとく知っているはずだった、、、。
が、しかし何も知っていなかったことを思い知らされた。


先ず、東山魁夷は日本画家だという認識が薄かったように思う。
これは東山画伯の絵が日本的というよりも、写真のようにヨーロッパ (特に北欧) の香りを放っていたものが多かったからかもしれない。
深い森の中にいる白い馬、まるで絵本の中の世界だ。
大きな絵からは引きしまった空気感を感じる。
シーンとした澄んだ冷気のようなものだ。
そこには日本画の枠を越えた、もっと自由な表現がある。

展覧会は大体画伯の年表どおりに進んでいく。
そう言えば、今まで全くといっていいくらい画伯の年齢や顔などは知らなかった。
今回現実的に年表をたどってみると、
明治41年(1908)の生まれで、平成11年(1999)に90歳で亡くなっている。
つまり、明治、大正、昭和、平成 と何と4つの元号を生きたのだ。
これだけでもすごい。

日露戦争後に生まれ、その後の戦争を含むさまざまな困難な時代を生きたにも関わらず、
画伯の絵は常に穏やかで澄んでいる。
そして、ヨーロッパの旅、京都への旅、それぞれのテーマを自己に課しながら
作品は繰り広げられていく。
そこにはわたしの知っている静寂」そのものの絵があった。


今回の展覧会でもっとも素晴らしかったのは、
何といっても唐招提寺の障壁画の数々であった。
これらの大作は約10年を要し、画伯はこの仕事を全うするために全精力を傾けた。
これまでの絵がまるで序章だったかのように、唐招提寺の障壁画は圧巻だった。
まさに日本画家としての本領を発揮したのではないだろうか。
2000枚にも及ぶスケッチの数々、膨大な中からの緻密な計算
あまりにも気が遠くなるような作業。
そして出来上がったのは、ダイナミックな構図と繊細さを兼ね備えた美しい景色である。

唐招提寺の障壁画「黄山暁雲」
日本経済財新聞社編、東山魁夷への旅より

上の「黄山暁雲」と「揚州薫風」「桂林月宵」は黒と白の墨絵で描かれている。
なんという悠久の世界なんだろう。
これらは、画伯独自の墨絵の描き方で描かれたのだとビデオで説明していた。
常に新しい試みに挑戦していくエネルギーは旺盛だ。

福耳が特長の大学教授のような容貌と
ビデオでの物静かな語り口調
絵を描いているときの凛とした姿勢
颯爽としたその筆の運び
まるでお坊さんのようだと一緒に行った友人が言っていた。
たぶんに悟りを開いたような清々しさを感じたのかもしれない。

そして平常心のまま
90歳で亡くなる寸前までもくもくと作品を描き続けた。
最後の方は今までのスケッチをもとに、どこの国でもない自身の想像力の世界を描いている。
なんて素敵な一生なのだろう。心底絵を描くことが好きだったのだ。

偉大な画業だけでなく、人としても一流の人間だったと思う。
日本人として誇らしい。
いい意味での驚きと感動の展覧会だった。




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