ボヘミアン・ラプソディーを観ました。

遅ればせながら「ボヘミアン・ラプソディー」を見てきました。
タイムリーで「クィーン」を知っている世代なので、時代を懐かしむ気持ちも強くて

特にラストのライブエイドの盛り上がりには感動で涙がでました。


とはいっても、当時10代半ばの思春期の真面目な少女 ? だったわたしは、
正直フレディ・マーキュリーの胸毛を強調したタンクトップ姿はどうにも
好きになれませんでした。強烈すぎました (笑)
それでも「ボヘミアンラプソディ」の旋律を聞いたときの驚きは今も忘れられません。

今回の映画化にあたっては、彼の内面の孤独に焦点を当て、一人の人間としてのフレディが描かれていました。
それにはゲイの世界をどのように描くか、難しかったと思います。
割とソフトに描かれていたので感情移入しやすかったのはよかったです。

当時は今と違ってカミングアウトするなんてことはあり得なかった。
ましてや大スターなのだから尚更です。
そこにエイズという不治の病があり、、、
みんなどう対応していいかわからなかった、というのが正直なところです。

そして、27年前、フレディがエイズで亡くなったことを知ったときは
ああ、やっぱりなと思いました。
映画化をためらっていたクイーンのメンバーにとっても、フレディをちゃんと知ってもらいたいという気持ちと、
現実を語らなくてはならない重い気持ちに27年という長い時間が必要だったのかもしれません。

それでも30年近い時が流れ、周辺の人間たちも老い、またあるものは亡くなり、
現実を受け入れる許容量も大きくなったことが映画化に至った要因だと思います。
それに振り返りたいという気持ちになったのかもしれません。

それにしても今回の映画のキャスティングは素晴らしかった。
かつてのクィーンを彷彿させる、クィーンを知らない世代も十分楽しめる内容でした。
特にフレディを演じたラミ・マレックはあまりにもフレディそのものでびっくりしました。後で調べたら義歯を入れての熱演だったとか。すごい。


この映画を見て、ボヘミアンラプソディがどのように作られていったのか。
敬虔なカトリックの信者であったフレディの両親、
その堅苦しい生き方から飛び出した彼の内部には荘厳なオペラのような、
宗教色の伴った重厚な旋律が自然と湧き出てきたように思えます。

そして、自分の性癖に悩み、孤独と闘いながら、最後にかけがえのないパートナーと過ごせたことは何よりも幸せだったのではないでしょうか。

最後に映画とは関係ないけれど、フレディとオペラ歌手のモンセラ・カバリエがデュエットで歌った「バルセロナ」を思い出しました。
こちらも荘厳です。
オペラ歌手にも負けないフレディの歌唱が圧巻でした。
やっぱり天才なんだなぁ。

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