投稿

源氏物語を読みました。

イメージ
久しぶりの投稿です。 言い訳ですが文章を書くというのは エネルギーが要りますね。 ちょっとインスタグラムの方に気持ちが 行ってしまいました。 ----------------------------------------- さてと、本題へ。 源氏物語を読みました。 とはいっても中学~高校生が対象の 現代語訳です。 今まで何度もトライして挫折を 繰り返したわたしにとっては 読みやすさが第一ですからね。 荻原規子氏が 「紫の結び」 「宇治の結び」 「つる花の結び」 と話の流れをつかみやすくまとめていて これなら読めるかなと思ったのです。 それでも全7巻は長かった。 読み始めたころは官位や人間関係、 行事などがなかなか理解できなくて、 ああ今回も挫折かなぁと弱気になったのですが、読了しました。やった~! 読み終わってみると1000年も前の平安時代の貴族の生活を垣間見た思いがします。 面白かったかって? うーん、難しいかな。 何だか昼のメロドラマのようで、、、 恋愛のはじまりは文のやりとりですが、 結局は 夜這い ですから 軽いノリです(笑) でも、夜這いは男女のまじわりに かかせない日本の文化だったんですね。 「一夫多妻」 というのも子孫繁栄 を主とした考えで、 明治天皇の時代まであったのですから。 今では考えられませんが、、。 また、平安時代の時代背景として この世は仮の姿という仏教思想があり、 寿命も短かったのでしょうから、 大胆に恋愛を楽しむのをよしと考えるのも当然かもしれません。 それにしても行きつくところは 出家というのが王道とは、 最後に 禊 (みそぎ)をすればいいや という開き直った感じがします。 太く短く生きて散っていく人生です。 光源氏はヒーローか? いえ、愛情に飢えながらも 誰も愛することができない 可哀そうなナルシストに思えます。 栄華を極めハーレムのような理想の 六条御殿に複数の女人と暮らしても 心は満たされることはありません。 最後まで継母の 藤壺 の面影を 追いかけます。 決して人に言えない秘密の恋。 結果、彼をとりまく女性たちとの 恋物語が次々と生まれるのです。 また、日本人の恥の文化を見た気も...

ボヘミアン・ラプソディーを観ました。

イメージ
遅ればせながら「 ボヘミアン・ラプソディー」 を見てきました。 タイムリーで 「クィーン」 を知っている世代なので、時代を懐かしむ気持ちも強くて 特にラストのライブエイドの盛り上がりには感動で涙がでました。 とはいっても、当時10代半ばの思春期の真面目な少女 ? だったわたしは、 正直フレディ・マーキュリーの胸毛を強調したタンクトップ姿はどうにも 好きになれませんでした。強烈すぎました (笑) それでも「ボヘミアンラプソディ」の旋律を聞いたときの驚きは今も忘れられません。 今回の映画化にあたっては、彼の内面の孤独に焦点を当て、一人の人間としてのフレディが描かれていました。 それにはゲイの世界をどのように描くか、難しかったと思います。 割とソフトに描かれていたので感情移入しやすかったのはよかったです。 当時は今と違ってカミングアウトするなんてことはあり得なかった。 ましてや大スターなのだから尚更です。 そこにエイズという不治の病があり、、、 みんなどう対応していいかわからなかった、というのが正直なところです。 そして、27年前、フレディがエイズで亡くなったことを知ったときは ああ、やっぱりなと思いました。 映画化をためらっていたクイーンのメンバーにとっても、フレディをちゃんと知ってもらいたいという気持ちと、 現実を語らなくてはならない重い気持ちに27年という長い時間が必要だったのかもしれません。 それでも30年近い時が流れ、周辺の人間たちも老い、またあるものは亡くなり、 現実を受け入れる許容量も大きくなったことが映画化に至った要因だと思います。 それに振り返りたいという気持ちになったのかもしれません。 それにしても今回の映画のキャスティングは素晴らしかった。 かつてのクィーンを彷彿させる、クィーンを知らない世代も十分楽しめる内容でした。 特にフレディを演じた ラミ・マレック はあまりにもフレディそのものでびっくりしました。後で調べたら義歯を入れての熱演だったとか。すごい。 この映画を見て、ボヘミアンラプソディがどのように作られていったのか。 敬虔なカトリックの信者であったフレディの両親、 その堅苦しい生き方から飛び出した彼の内部には荘厳なオペラのような、 宗教色の伴った重厚な旋律が自...

坂の上の雲を読んで

イメージ
司馬遼太郎著の 「坂の上の雲」 全6巻を読了しました。 ああ、読み終わったなという感じと、 ちょっと淋しいなと思う気持ちが正直交錯しています。 よし、読み終わったら感想を書くぞと、ずっと思っていたのですが、 いざ読み終わると何から書いていいものか、 頭の中が全然整理されていないのです (苦笑)  まあ、とにかく書き進めてみようと思います。 先ず 「坂の上の雲」 というタイトルの響きにぐっときます。 清々しい青空に白い雲という明るい情景が浮かび、 次に希望に向かって進む明確な強い意志を感じます。 そして、この素晴らしいタイトルに著者の熱い気持ちが伝わってくるようです。 主人公達は、 正岡子規、秋山真之(さねゆき)、秋山好古(よしふる) の3人 子規と真之は明治元年生まれ、好古はそれより少し前の江戸時代の末期に生まれています。 明治という新しい時代の気運が、彼らの人生に「坂の上の雲」という明るい希望を持たせました。 この明治初期のドタバタの時期、普通の人が才能と個性を発揮したところに、 奇跡のような、いえ、必然のようなものを感じます。 前半はこのドタバタの時代の中で、これまた大いに彼らの青春ドタバタ劇が発揮されていきますが、その中でも子規の天真爛漫な明るさが光ります。 実はこの「坂の上の雲」という長編小説を読もうと思ったきっかけは、この正岡子規の明るさにありました。 前の投稿で伊集院静著の 「ノボさん」 の感想を書きましたが、子規には人間的魅力がありふれています。 あとがきで、著者も子規の天衣無縫な人間性に惹かれたと書かれていました。 大作家と同じ思いだったなんて感激です。 しかし、子規は35歳という若さでこの世を去るので、小説の中盤からは真之と好古の二人が主人公となり、 日露戦争 という大きな歴史の渦の中に突入していきます。 そして、この日露戦争そのものがこの小説の大きな主題になっていくのです。 日露戦争 (明治37年~38年(1907~1908)) 正直、私自身、これまで日露戦争については  東郷元帥、バルチック艦隊、乃木将軍、 203高地 と単語はでてくるものの、単なる歴史の通過点くらいの知識しかありませんでした。 戦争というのは当たり前ですが、壮絶な戦いの連続で、読み進め...

東山魁夷展を見て

イメージ
国立新美術館で開催の東山魁夷展に出かけた。 東山魁夷 、日本人なら誰もが知る国民的風景画家である。 かくいう私もカレンダーを2度買っている。 だから、当然のごとく知っているはずだった、、、。 が、しかし何も知っていなかったことを思い知らされた。 先ず、東山魁夷は日本画家だという認識が薄かったように思う。 これは東山画伯の絵が日本的というよりも、写真のようにヨーロッパ (特に北欧) の香りを放っていたものが多かったからかもしれない。 深い森の中にいる白い馬、まるで絵本の中の世界だ。 大きな絵からは引きしまった空気感を感じる。 シーンとした澄んだ冷気のようなものだ。 そこには日本画の枠を越えた、もっと自由な表現がある。 展覧会は大体画伯の年表どおりに進んでいく。 そう言えば、今まで全くといっていいくらい画伯の年齢や顔などは知らなかった。 今回現実的に年表をたどってみると、 明治41年(1908)の生まれで、平成11年(1999)に90歳で亡くなっている。 つまり、 明治、大正、昭和、平成  と何と4つの元号を生きたのだ。 これだけでもすごい。 日露戦争後に生まれ、その後の戦争を含むさまざまな困難な時代を生きたにも関わらず、 画伯の絵は常に穏やかで澄んでいる。 そして、ヨーロッパの旅、京都への旅、それぞれのテーマを自己に課しながら 作品は繰り広げられていく。 そこにはわたしの知っている 「 静寂」 そのものの絵があった。 今回の展覧会でもっとも素晴らしかったのは、 何といっても 唐招提寺の障壁画 の数々であった。 これらの大作は約10年を要し、画伯はこの仕事を全うするために全精力を傾けた。 これまでの絵がまるで序章だったかのように、唐招提寺の障壁画は圧巻だった。 まさに日本画家としての本領を発揮したのではないだろうか。 2000枚にも及ぶスケッチの数々、膨大な中からの緻密な計算 あまりにも気が遠くなるような作業。 そして出来上がったのは、ダイナミックな構図と繊細さを兼ね備えた美しい景色である。 唐招提寺の障壁画「黄山暁雲」 日本経済財新聞社編、東山魁夷への旅より 上の「黄山暁雲」と「揚州薫風」「桂林月宵」は黒と白の墨絵で描かれている。 なんという悠久の世界...

ノボさん (小説 正岡子規と夏目漱石) を読んで

イメージ
ノボ さんとは正岡子規のことである。 教科書に載っていた、 そう、あの横顔の写真の人。 子規の幼名のノボルからきている。 彼は生涯、多くの人から親しみを込めて ノボ さんと呼ばれた。 9月19日は正岡子規の命日で 明治35年(1902)没だから今から100年以上も前になる。 その彼が晩年の8年余りを過ごした終の棲家が今でも「子規庵」として保存されている。 何だかすごいことだと思う。 もともと、わたしが正岡子規について知っていたことと言えば 「柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺」 の有名な句と前述のあの横顔の写真くらいだったと思う。 花の写真を撮るうちに、花にまつわる俳句を調べ始めた。 そうするうちに、子規の俳句を次々に目にすることとなる。 さらっと描写していながら、 どこかユーモアのある句ばかり、 芭蕉の句も素晴らしいけれど、子規の句は日常の些末なことを題材にしていて、 しかもすごく楽しげだ。 でも、その生涯が35年と短いこと、 ついには子規庵を訪ね、 その小さな庵での晩年の生活を垣間見て、尚更彼のことが知りたくなった。 そして、伊集院静の著作 「ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石 」 である。 この本で初めて子規と漱石が親友だったことを知り、短くも自由闊達で壮絶な子規の生涯を改めて知ることができた。 因(ちな)みに子規とはホトトギスのことで 結核に侵され喀血した己の姿を見て、嘴 (くちばし) の赤いホトトギスに自らが例えた。 この辺が子規の悲しい出来事も面白おかしくしてしまう、ユーモアセンスあふれるところだと思う。 この本のサブタイトルになっている、夏目金之助 (後の漱石)との出会いは運命的だ。 この二人、性格は正反対だが、落語や浄瑠璃が大好きという遊び心の点からだんだんと親密になっていくところが面白い。 二人ともこれはいいと思ったことに対するこだわりが半端でないのだ。 特に子規の野球に対する情熱はすごい。 俳句に対する情熱、小説に対する興味、子規の熱情が漱石の心を動かしていく。 子規の人物眼は大したもので、漱石の才能をいち早く認めている。 二人の書簡のやりとりもまた微笑ましい。 そんな青年時代のはつらつとしたノボさんが、悲しいかな、血を吐いてしまう。 そして、結...

西郷どん

イメージ
NHKの大河ドラマ「西郷どん」見てますか ? 昨年の「直虎」に続き好調をキープしているようですね。 わたしも見てます。 西郷どんと書いてすでに「せごどん」と呼ぶことに違和感はありません (笑) 今まで数々の大河ドラマを見てきたので西郷隆盛という人物については 知っているはずだと思っていたのですが、けっこう知らないことだらけです。 そういえば今までは坂本竜馬だったり、長州藩や、はては会津藩が主役の話だったりで 西郷さんは突然出てきていつの間にかいなくなった人だったような気がします。 それでも個性が強いので、ちょっと出ただけでも印象的でしたが、。 今回の「西郷どん」では彼のカリスマ的な死に動じないそのヒストリーに、 もはや尊敬の念を抱いております。 しかし、彼の悲しい行く末を知っている我々にとっては、 これからの展開が楽しくもありはたまた悲しくもありと複雑な心境です。 それにしても薩摩という江戸から遠く離れたところで起こる革命劇は、想像もできないほど熱い。 江戸から離れていたことにより目が届かなかったのかもしれませんが、 まして奄美大島や沖永良部島に流されていたことは、もう死んだも同然の身の上です。 そんなロビンソンクルーソー的な生活の中で生き残って、時代の表舞台に登場すること自体が運命的な感じがします。 そして、徳川慶喜の描き方もまた面白い。 歴史的な大政奉還後も毎日が日曜日のような生活をして生き続けた彼もまた、 強い人間だったのかもしれません。 人の世はそれぞれ、 歴史的な登場人物の生き方もまた現代に通じるものがあるように思います。 ただ、それでも時代の立役者たちが次々に命を散らしたことは本当に残念です。 坂本龍馬や小松帯刀が生き続けていれば、西郷さんの運命も変わったかもしれません。 まあ、もし、だったらというのはやめましょう。 長く生きるのも家康のように強運と忍耐、生きる能力が必要です。

FIFAワールドカップ

イメージ
サッカーのワールドカップ にわかサッカーファンの私がどうのこうのいう立場ではないが、 やっぱり4年に1度のサッカーの祭典は楽しい。 普段はあまり気乗りしないわたしも、この時ばかりはテレビにくぎ付けになる。 ロシア開催ということで試合が夜中になっているのが辛いが仕方がない。 それにしても日本のチームが正直ここまでやれるとは思わなかった。 かえすがえすも決勝トーナメントのベルギー戦は惜しかったな。 それでも昔に比べるとうまくなったということもあるが、選手が堂々としているなと思った。 日頃、外国のチームで契約してプレーしている選手が増えたからだろう。 素晴らしい戦いぶりだったと思う。 思えばJリーグが始まってから25年あまり経つんだな。 当時のスター選手の三浦知良がすでに50を超えているのだから、、、。 昔、職場の同僚の女の子が「ドーハの悲劇」の翌日、泣きはらした目をしていたことを思い出す。 今回、テレビでラモスや木村和司や岡田さんなんかがテレビで語り合っているのを見てちょっとウルっときてしまった。(笑) 彼らが興奮するのも無理はない。ワールドカップ出場なんて夢だったのだから。 話を戻すが、ワールドカップは大詰めになってきた。 ロナウドもメッシも舞台から去り、結局ベスト4に残っているのはヨーロッパ勢ばかりになってしまった。日本を破ったベルギーもその中にいる。 あともう少しワールドカップの熱戦に酔いしれようっと。