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大寒

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二十四節気でいうところの 「大寒」 に入りました。 大寒は 1/20~2/3 を言います。 以前、二十四節気の記事のところで触れた 「 七十二侯 」 では、さらに 初候 、 次候 、 末候 と分けられ下記になります。 初候  --- 蠟梅擬蜜 --- ろうばいみつになぞらえる 次候  --- 蕗薹孕苞 --- ふきのとうほうにはらむ 末候  --- 薺生雪下 --- なずなゆきのしたにしょうずる 七十二候は数が多いので、ここで全てを紹介するのは諦めるとして、季節ごとに時々書こうと思います。 四文字の漢字も難しいのですが、ひらがなを見てみると植物で季節を表わしていることが解ります。 蠟梅(ろうばい)、ふきのとう、なずなと、いずれもああと思いますね。 だんだんと雪の中で植物が芽を出してきているということを感じます。 昔の人は、確かに農作物の作業の目安のために七十二侯を考えたのでしょうが、季節の言葉としても楽しんでいたように思いますね。 下の写真の水仙は、大寒の前の前「冬至」(12/22 ~ 1/4) の 末候の 水仙鮮香 (すいせんあざやかにかおる)です。 今の時期、水仙の花の白と黄色に清々しさを感じます。 黄色の部分は口を尖らせたようで、シンプルな花の中のアクセントとなっていてかわいいですね。 とにかく七十二侯は 5日刻みなのですぐに終わってしまうため忙しいです。(笑) 奇しくも大寒に入り関東でも大雪が降りました。 しかも草津では本白根山が噴火し、自然というものの凄さを改めて知ることになりました。 しかしながら、考えてみると季節の営みや自然の脅威というのは、私たち人間の歴史より遥か遠い昔から繰り返されてきたことなのです。 科学が進歩しても自然が引き起こす脅威を予測することは難しい。 特に草津は昔スキーで何度か行っていたので本当に驚きました。 被害に合われた方には心よりお悔やみを申し上げます。 さて「大寒」が終わると次はいよいよ 「立春」 、 暦の上では春になりますね。 立春の初候は 「梅香馥郁」 (ばいかふくいくたり)です。 他の花には悪いのですが、本命登場を待つばかりですね。 冬来たりなば 春遠からじ まだまだ冬のさなかです。 風邪などひかぬよう、体にお気をつけ下さい。 それから凍った雪道...

和して同せず

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あけましておめでとうございます。 2018年、平成30年 戌年 (いぬどし) のはじまりです。 といってももう七草が終わって、お正月気分も薄れてしまいましたが、、。 本当は昨年暮れに一年を振り返ろうと思っていたのですが、何と新年も早一週間が過ぎてしまいました。 まあ、言い訳はこのくらいにして今回のお題は 「和して同せず」 です。 和して同ぜずとは、人と協調はするが、道理に外れたようなことや、主体性を失うようなことはしないということ。 『論語・子路』で孔子が「子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」と言ったのに基づく。 君子は誰とでも調和するものだが、道理や信念を忘れてまで人に合わせるようなことは決してしないということ。 「同ぜず」は「同せず」ともいう。 ( 故事ことわざ辞典 http://kotowaza-llguide.com/wa/washitedouzezu.html) なぜ、 「和して同せず」 この言葉をここで書こうと思ったのかというと、昨年暮れのテレビで五木寛之へのインタビュー番組をたまたま見たからです。 五木寛之といえば、あの「青春の門」で小説、映画ともに1970年代を代表する作家です。 もちろん、今でも「百時巡礼」で颯爽とした姿を拝見していましたが、すでに齢八十五歳と聞き、今更ながらびっくりしました。 わたしの青春時代、まさに五木寛之の油がのっていた時期で「青年は荒野を目指す」「さらばモスクワ愚連隊」「デラシネの旗」など読みふけったものです。 その五木寛之が今の長寿社会をどう生きるかを冷静に話していました。 その中で出てきた言葉が 「和して同せず」 です。 この言葉はわたしの中にすっと入ってきました。 少なくても現代において、この「 和して同せず」は仕事でもプライベートでも通用する思想だと思います。 それを人生の後半戦でさらに勧められたわけです。 火野正平が自転車で各地をめぐる「こころ旅」で度々発するあの「人生下り坂 最高」の言葉と匹敵するインパクトが「和して同せず」にはあります。(苦笑) 友人にこのことを話したら、あなたの場合は「和さず同せず」だよと一笑されました。 そんなにアウトローだったかなと反省しきりですが、これからはこの「 和して同せず」で大人になってやっていこう...