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彼岸花 (曼殊沙華) に思う。

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あの猛暑が嘘のようです。完全に秋ですね。 今日は長そでのスポーツジャケットを着て散歩に出かけました。 そして、不意に 彼岸花 の赤に目を奪われました。 お彼岸の時期に咲く花、別名 「曼殊沙華 (まんじゅしゃげ)」 です。 毒性があるため、外敵から稲を守るためによく田んぼの畔などに植えられたそうですが、 最近では曼殊沙華の群生が観光スポットになっているところもあります。 この曼殊沙華という名前、漢字からも想像できますが仏教が深く関わっています。 サンスクリット語 (インドなど南アジアおよび東南アジアにおいて用いられた古代語 wikipediaより)で曼殊沙華は 天界に咲く花  とされています。 本来は非常におめでたい花とされているのですが、日本では昔から土葬のそばに植えられていたりしたため、別名で「死人花」「捨て子花」「幽霊花」などとよくない名前がつけられました。 しかし、恐れる反面、独特な花の形と真紅の色が人の心を惹きつけるのでしょうか。 白地に真っ赤な曼殊沙華の模様の浴衣、 すごく好きだったけど、なんだか着るのに気後れしてしまった過去を思い出します。 そして、あの山口百恵の「曼殊沙華」まんじゅしゃげではなく 「マンジュシャカ」 という歌詞が印象的でした。 先に触れたサンスクリット語で manjusaka 似たような音であるということを後で知り、さすがは阿木燿子だと思いました。 この歌は1979年だからもうずいぶん前ですね。 曼殊沙華に女性の情念を合わせていますが、何かすかっとした潔さもあって、そんな歌詞が山口百恵にぴったりと合っていました。 藤あや子が後でカバーしましたが、彼女の「曼殊沙華」もなかなかよかったです。 真紅(真っ赤)という言葉がやけに印象に残ります。石川さゆりの「天城越え」ほどではないもう少し軽い情念でしょうか。(何を言っているんだろう(笑)) もうひとつ、有名な山口誓子の俳句です。   つきぬけて 天上の紺 曼殊沙華 つきぬけてというのは空が高い、秋の空でしょうね。 天上の紺というのは真っ青な空ではないでしょうか。 真っ青で澄み切った空に、すっくと咲いている曼殊沙華。 秋の青空と曼殊沙華の赤のコントラストがくっきりしていたのでしよう。 また、先に触れたサン...

ジャコメッティ展、不思議な魅力

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国立新美術館で  アルベルト-ジャコメッティ展  を見てきました。 この細長い印象的な彫刻、もうすぐ会期も終わりだと思うとすごく見たくなってしまいました。 いつもぎりぎりのわたしです。 アルベルト-ジャコメッティはスイス人ですが、ずっとフランスのモンパルナスに居を構えて製作していました。 ジャコメッティの面差しはまるで哲学者のようで、ただひたすら芸術に捧げた生涯です。 1966年に64歳で亡くなり、今回の展覧会は「 没後半世紀を経た大回顧展」 と銘打たれています。 とことん写実に近づくことを探求した結果、写真のような細長い彫刻が彼の独特なスタイルになりました。 彫刻は屋外に展示されることも多いのですが、ジャコメッティの作品はすごく細いので、箱根の彫刻の森、美ヶ原高原美術館等でのレプリカ展示は難しいかなと思いました。 会場内に屋外のテラスや道に展示されている写真がありましたが、ちょっと違和感を感じました。 自然の中では ヘンリームーア や ロダンのような、どっしりとした彫刻が合います。 その点、ジャコメッティの作品はそぎ落としたような細さなので、周りが  無  の方が作品が引き立つような気がします。 それはそれとしてジャコメッティ、大きい作品ばかりではなく、初期のころはマッチ箱に入るような極端に小さい作品もありました。 説明によると、見たものの姿を探求していくなかで、作品のサイズが変わってしまうということに相当な葛藤があったようです。 それにしても小さすぎる。まるで根付の細工のようでした。 デッサンもたくさん展示されていました。 不思議なことにこちらは普通のデッサンです。 こだわりを示すたくさんの線で描かれていました。 写生は長時間にわたり、あまりに過酷なため、モデルはごく身近な人間しかできなかったようです。 作品に一つ年下の弟がモデルになった絵や彫刻が多いのはそのためです。 それにしても彼の作品は不思議です。細くてミイラのようなのに暗さはありません。 むしろ愛嬌すら感じます。 何点か写真撮影がOKだったのでご紹介しますね。 どうでしょう。代表作の 「歩く男」 (左と中央) は見る角度で少し違った印象を与えます。 いったい、この男の年齢はいくつくらいなんだろ...